わたしにはもう一生、関わることのできない友人が2人、いる。
ひとりは大学の同級生A、もうひとりはこちらも同じ大学のひとつしたの後輩B。大学のカリキュラムで、後輩と関わる機会があって仲良くなり、3人でよく遊んだものだ。
わたしは看護学部に通っていたので、もちろん大学4年生のときは国家試験に向けて勉強を……

していなかった。
めんどくさかったのだ。受かりたい、看護師になりたい、という気持ちより、ただただめんどくさい、それだけの理由で、ずうっと本を読んでいた。
当然、国試には落ちた。わたしは、自分が落ちることはわかっていたし、落ちたことをほんとうに辛いとも悔しいとも思わなかったけれど、わたし以上にAとBが心を痛めてくれた。

2回目で受かったわたしの合格を、自分の合格よりも喜んでくれたB

なんやかんやあって次の年の2月。わたしはBと共に、2回目の国家試験を受けた。
合格した。いまだになぜ合格したのかわからない。2回目もほとんど勉強していないのに。
Bも合格していて、AとBとわたしで飲みに行った。Bは自分も合格したというのに、わたしの合格をなにより喜んでくれた。
Bは、大きなお家の子だった。平たく言えばお金持ち。インスタグラムで、金木犀が咲いた、と投稿していた。ふつう家に金木犀ある?
わたしは、晴れて看護師になり、そして残念なことに鬱になった。無断欠勤や、あまり書きたくないような大きな騒動を起こして、退職した。
もちろん、AやBは心配してくれて、わたしのために飲み会をひらいてくれたりした。

ここでひとつ言っておきたいのが、じつはわたしはAよりBとのほうが仲が良かったということ。
Aとはもちろん仲が良いのだけれど、Aは本を読まない。Bと、本についてああでもないこうでもないと話すことが、楽しかった。お互いのおすすめの本をプレゼントしあったりした。Bからは江國香織の本を、わたしは本谷有希子の本を渡した。

わたしの暴言や嫌がらせのような電話にAは去り、Bとの連絡も絶えた

はなしを戻すと、わたしの鬱はそう簡単には治らなかった。どころか、悪くなっていった。
気分の波がジェットコースターのようにころころ変わる。
ある日、あんなにもなることがめんどくさかった看護師という職業、それを続けられているAに怒りが向いた。励ましのLINEをくれたAに「ばかにしてんだろ」「黙ってりゃいい気になって」「返信不要」など、散々なことを言った。
そして気持ちが落ち着いたときに「やっほー久しぶり!」と連絡をとった。既読すらつかなかった。
わたしは、何度も何度も何度も何度も、Aに電話をかけた。着信拒否をされた。LINEもブロックされた。
仕方がないのでBに、インスタのDMで「久しぶり~」と送ったが、こちらも返信はなかった。
AとBは、同じ部署で働いていたので、きっとAからわたしの暴言や、嫌がらせのような電話のことを聞いていたのだと思う。

江國香織と金木犀の香りに、もう二度と戻らない日々を思い出す

気づいたときには遅かった。
わたしは大切な友人を2人、なくしてしまった。
もう、連絡をとる手段がない。

金木犀の季節になると、その香りで思い出す。ふつう家に金木犀ある?と、AとBと一緒に笑いあった日々。
二度と戻らない、わたしが粉々に砕いてしまった、あの日々。
本棚に並んだ江國香織の本。その本から微かに香る、Bとの思い出の日々を、わたしは忘れられない。