それは突然、何の前触れもなくやってきた。
「久しぶり。今、東京いるの?」
「出張で来てるから、ご飯でも行こうよ」

当時に戻りたいとは思わないけど、彼を振ったことは間違いだった

彼とは中学生の頃に出会い、高校に進学した頃、数ヶ月間付き合った。部活の大会でよく会う、違う学校の友達の友達。SNSが今ほど普及していない時代、今思えば、随分アナログな、よくわからない繋がり方だったと思う。
だから彼のことを誰かに説明する時、いつも少し困るのだった。
優しくて、楽しくて、私のことを大事にしてくれて、とにかく良い人だった。
ところが当時の私は、その優しい幸せを理解できなかった。若気の至りというやつだろう。
私は、「人生やり直せるならいつに戻りたい?」というよくある質問に「特に戻りたいと思わない、今が一番楽しいから」と答えるタイプだ。
もちろん青春時代は楽しかったし、また部活やったり、昔の仲間と馬鹿やりたいな、なんてことは思うが、当時に戻りたいかと言われたらそれは別の話だった。
そんな私でさえ、人生間違えたと思った出来事が、彼を振ったことだった。当時はわからなかったが、今思い返してみれば、あれは間違いだった、確実に。

再会した彼と一線を超えた事は流されたのではない、むしろ自ら泳いだ

会社でラインを受け取った時の私は、近年稀に見る大慌てっぷりだった。その日に限ってすっぴんだった私は近くの薬局に飛んで行き、化粧品を一式買い揃え、その日着てきた服を後悔し、どうにか仕事を終え、化粧をして、はやる気持ちを抑えながら、駆け足で待ち合わせ場所へと向かった。

5年ぶりに再会した彼は、少し洒落たスーツを着て、すっかり大人になっていた。
近くの居酒屋で、ビールなんか飲んで、昔話に花を咲かせ、時間はあっという間に過ぎていった。そしてお互い翌日が休みだったので、出かける約束をして、また明日ね、と別れた。
翌朝、彼が車で迎えに来てくれて、海沿いまでドライブした。
観光地を巡ったり、海鮮料理を食べたり、なんてことない普通のデート。それなのに、私は胸がいっぱいだった。今までのデートで1番、心から楽しくて、幸せだった。
夜になって、飲みに行って、帰り道に手を繋いで、私の家まで帰った。そして出会ってからおおよそ10年の時を経て、一線を越えた。
流されたのではない。むしろ、自ら泳いだ。

こんな月9ドラマみたいな展開に酔い、本気になっている自分が怖い

これはいたって普通の、よくある話だ。なんてことはない。
しかし私は、それどころではなくなった。本気になってしまったのだ。そして1つ問題があった。私には別に彼氏がいた。
かつて同じような経験をしていた友達に、半ば呆れながら「やめときなよ」なんて言っていた私はどこへ行ってしまったのか。まさか自分が忠告される側になる日が来るなんて。
元彼と地元から遠く離れた地で再会し、一夜を共に過ごすなんて、こんな月9ドラマみたいな展開に酔っている自分が怖かった。

今までも時々彼氏はいたが、もうすっかりときめきなんて、遥か彼方に置いてきてしまっていた。来る者拒まず去る者追わず。恋をすることを忘れていた。なんていうのはただの強がりであって、本当は、傷付くことが怖かっただけだ。事あるごとに予防線を張っては、言い訳を並べて逃げてきた。
彼と過ごした2日間で、私はすべてを思い出した。人を好きになるって、恋をするって、こういうことだ。それは思っていたよりもずっと単純で、人間として、ヒトとして、当たり前なことだった。
なんだ、私、まだいけるじゃん。忘れてなんかなかったじゃん。

俯瞰して見ればすぐわかる話も、渦中にいる人間にはわからない

結局彼とは翌月も同じことを繰り返した。相変わらず脳内でバグを起こしていた私は、地元に帰ることを決めた。仕事も、男も、今いる環境も、全部放り投げた。彼と一緒にいられる方法しか考えていなかった。
案の定彼にはそんな気はさらさらなく、私1人で突っ走っては浮いたり沈んだり、溺れていただけだった。俯瞰して見ればすぐわかる話。そんなことすら、渦中にいる人間にはわからないのだ。

どうにかこうにか時が解決して、今となってはほろ苦い思い出となった。
時々不意にあの日見た光景が目の前をちらついては、かさぶたが剥がれ、ピンク色の柔らかい皮膚が剥き出しになったりもする。辛い時間も過ごしたけれど、胸の奥深くに仕舞い込んでいた私の衝動を解放してくれた彼には、感謝せねばなるまい。
逃げるのは簡単だ。場合によっては役に立つ時だってある。しかし、逃げた先で掴んだ幸せでは、どこにも爪痕さえ残すことはできない。傷付いた人にしか見ることのできない景色がある。それは時に、想像もつかない程美しかったりもするのだ。
諦めるのはまだ早い。いざその時が来たら、居ても立っても居られなくなって、本能のままに、また誰かのことを想うのだろう。