私は今、両親のいる田舎で暮らしている。
「実家」と言わなかったのは、定年退職後に両親がUターンし、2人の地元で生活を始めたからだ。ここではやはり便宜上、「実家」と呼ぶことにしようか。
私自身は、生まれも育ちも東京で、今も東京に住んでいるし、仕事も東京だ。
今は東京から約700km離れた自然あふれた環境で過ごしている。それゆえに家族以外の知り合いなどはいない。

60代の父が癌に。母が撮る父の姿は痩せ細り、以前より白髪が目立つ

私がここにいる理由は今から3ヶ月前に遡る。
母から電話越しに聞いた「お父さんが体調が悪い」という連絡から数日後、癌だったと報告があった。いくつも想像した最悪のパターンの中の一つだった。

コロナもあり帰省を控えていたため約1年半、両親とは会っていなかった。その間も連絡は取っていたが、まだ60代の父にこのような病が降りかかるなんて思ってもみなかった。
あまりのショックで受け止めきれない気持ちだったが、1番つらいのは父で、そして母なのは間違いなかった。
そんな2人が気丈に話すので、「髪の毛が無くなっちゃう前に写真でも撮って送ってよね」とせめてもの冗談を言い、そうやねと母は次の日から父の写真をよく撮るようになった。

送られてくる写真の父は痩せ細り、以前より白髪が目立つ。
「まだ髪の毛あるね」なんて冗談を言いながら、私に出来ることは何かと考えた。
普通なら週末や休みをとって会いにいくことなど容易だが、コロナ禍、しかも東京で生活している自分が行って、万が一うつしてしまったりしたらと思うと怖く、電話で様子を伺う日々が続いた。

後悔したくないと思い、父と共に生活をするために実家に戻った

そんな中、日に日に痩せていく父の写真を見て、様々な良くない行く末が頭をよぎった。
なにより、同居している高齢の祖母と、病気の父の生活を母が1人で支えることは難しい状況だった。

後悔したくない。

そう思い、仕事を全面的にテレワークに切り替えさせてもらい今に至る。
東京からダイレクトに実家に戻ることはリスクがあるため、県内のウィークリーマンションで2週間隔離生活をしたのちPCRを受け、実家に戻った。
戻った時父は入院していたため、久々に再会したのは病院の面会室だった。写真で見るより痩せ細った父を目の前に思わず涙が出てしまった。元々無口な性格なため、本当はすごくつらいはずだが、相当我慢しているように見えた。

父はその後、通院治療に切り替わり家に戻ってきた。
介護のため、なんて会社には言って事情を通したが、実際は共に生活することに意味があった。

気づかないうちに貰っていた家族からの愛を、今度は返したい

同じ食卓を囲み、テレビを見る、昔家族で行った旅行先の話をする、久々に「末娘の自分」に戻った懐かしさがあった。家族の中に身を投じている自分を俯瞰で見ている自分もいて、今更になってようやくわかったことがある。

愛されて育った。
今になってよくわかる。
私は間違いなく愛されて育った。

私にとって両親は、当然に私のためになんでもしてくれる人だったし、姉や兄は喧嘩もしたが当然に助け合っている。いわゆる仲良し家族!みたいな感じでもなくさっぱりした家族ではあるが、私の人生の選択肢を広げてくれたのは両親だったし、今回事情を話して全面テレワークに切り替えさせてもらえたことも柔軟な会社に入社できたからだ。それは間違いなく、選択肢を広げてくれたの両親のおかげだ。

そんな中で私が気づかないうちに貰っていた家族からの愛は、今度は返さないといけないのだ。愛されている自覚をできる大人になったのだから。
だから会いにきた。介護じゃなくて、会いに来たんだよ。目の前では伝えられないからここで、伝えたい。