今、海外で山を登っているのは、あの日の夜があったから。
初めて一人で山登りをしたのは26歳のころだった。
5年間付き合った彼と別れ、信州の山小屋でアルバイトをして、それが終わった秋のはじめに八ヶ岳へ向かった。
2泊3日、生活に必要なものをザックに入れて背負い、山を縦走するのだ。
歩き始めて6時間、山小屋まであと30分というときに気づいた間違い
大きな青空が私を迎えてくれた。
この時期に登っている人は片手で数えるほどで、山の上では同じ景色を共有してる者同士の挨拶を交わした。
最高の秋晴れに恵まれ、どの人も充足している顔だった。
見上げると青い空、眼下にはどこまでも続く緑の山並み。
山小屋で一緒に働いた同僚が、「山を歩くときは両手を広げて風を感じながら歩くんだよ」と言っていた。
そのときは恥ずかしくて自分じゃできないと笑っていたけど、この日は山と空に挟まれたその間を、胸を張り両手を広げ、風を感じながら歩いた。
1日目に泊まった小屋を出てから歩き始めて6時間が経ち、今日の宿泊予定の山小屋まであと30分というときだった。
道を間違えてしまった。
ここは町にある整備されたコンクリートの道ではないので簡単には戻れない。
何百万年という果てしない月日の間、雨風にさられ続けている土や岩石が積み重なった、標高約2,800mの山の上なのだ。
下から見上げれば崖である。私はその崖を誤って下ってしまった。
周りに人は一人もいない。陽は沈み始めている。
人生で一番死ぬ可能性が高い最中、浮かんだ言葉は「母に怒られる」
来た道へ戻るために、目の前にそびえ立つ岩の壁を両手両足を使って這うように、一歩一手慎重に登っていった。
ヘルメットはしていない。
この右手が滑ったら落下して死ねる。
左手でつかんだ場所が崩れたら落下して死ねる。
人生の中で今が一番死ぬ可能性が高いなぁ。
今が最後になるかもしれない最中に、頭に浮かんだ言葉は、
「あぁ、お母さんに怒られる」
であった。なぜなら、一人で登山をするなんて心配性の母親には言えなかったから、死んだらそれがバレる!と思ったのだ。
ショックだった。
我ながら恥ずかしくて情けない。
もっとこう、極地の場面では、「嫌だ!まだ死にたくない!」とか、「あの人に正直な気持ちを伝えておけばよかった!」とか、死にたくない悔しさを感じたり、自分目線で生きた人生を後悔したかった。
それがいい年をした大人が、「親に怒られる」って……。
いかに母の目を気にして生きてきたのかを、岩壁を必死に掴みながら、自分自身に突きつけられていた。
この日、「これからは自分の意志で決めて生きていこう」と心に決めた
そんな思いの葛藤を繰り広げながら、なんとか元の道に戻った。あたりは薄暗かった。
乱れた呼吸を整え、自分が這い上がってきた場所を振り返り、山、石、土、空、その空間にあるものすべてに感謝の念を言った。
この日の夜に、「これからは自分の意志で決めて生きていこう」と心に決めた。
もう二度とあんな惨めな思いはしたくない。
そして3年経った今、まだ氷河が残る、日本から遠い山の上を、一人で歩いている。
自分の命は自分でしか守れないけど、自分の力だけでは生きていけないことも3年の中でわかった。
もしまたあの日と同じ状況になったら、どんなことを思うのかは全く想像がつかない。
でもせめて、自分自身のために、「死ねるもんか」と叫びたい。