中学3年生のわたしは、文化祭が楽しかったという理由でこの高校を志望校に選んだけれど、周りにこの高校の話をすれば、絶対に「制服が可愛いことでかなり有名な高校だ」と言われていた。
中学校がセーラー服だったから、ブレザーで着崩せるなら正直なんでもよかったわたしは、合格発表の帰り道に、先輩らしき人たちが着ているそれを見て、可愛さを実感することになった。

夏服はブラウンのチェックスカートに同じ柄のリボンとネクタイが選べて、冬服はネイビーのセットアップに赤と緑の混ざったリボン、指定のケーブルニットのセーターはホワイトとネイビーがあって、ゴールドのボタンが付いたベストもあった。
王道の少女漫画に出てくるような制服だった。

有名デザイナーがデザインしたもので、公立高校なのに一式揃えるのに約10万円かかり、親には「私立高校にでも行くの?」と言われたほどだった。

「あの高校の制服だ」という周りの視線。可愛い制服が誇らしかった

制服目的で入学したわけじゃなくても、可愛い制服は誇らしかった。
地元とは少し離れた高校、かつ地元の高校は大人しめな制服が多かったため、電車に乗るたびに、自意識過剰かもしれないけど、「あの○○高校の制服だ~」という視線を感じて、したり顔でリボンの長さを調節していた。

校則もそこまで厳しくなかったから、入学して早々、膝上15cmくらいまでウエストをぐるぐるたくし上げて、HARUTAのちょっとだけヒールがあるローファーにお気に入りのラインソックスを合わせて優雅に登校していた。

でも夏服と冬服を混合させて着てはいけないという謎の校則があり、それを破った日には部活で先輩に締め上げられる、なんてこともあった。

これは時代なのかもしれないが、ライブに行く時もディズニーに行く時も、制服だった。
なぜかライブの時期がテスト前に被ることが多かったから、片手には英語の単語帳や化学の教科書を拡げ、もう片手にはスマホを持ち、YouTubeで掛け声の復習をしながらグッズ列に並んでいた。

青春のすぐそばにはいつも制服があった。わたしたちは無敵だった

制服を着ているだけでわたしたちは、無敵だった。
高校の創立記念日はみんな決まって制服ディズニーをした。すれ違い様にサッカー部のマネジャーがお互い制服で彼氏と来てるのを目撃したり、隣のクラスの女の子たちが夏冬混合で着こなしているを見て、やっぱり無敵だと思った。

卒業式の日に好きな先輩からセーターをもらって、新学期からいかにも男もののセーターをぶかぶか着ている女の子を見るときゅんとしたし、女の子の冬服にはネクタイがないはずなのに、女の子がそれをしていたりすると、いろんな恋の噂が立った。
わたしたちの青春のすぐそばには、いつも制服があった。

制服という概念から卒業した。わたしはもう無敵じゃなくなった

大学生になって、1年生の頃は制服ディズニーをしたりもしたけど、年を重ねるごとにその頻度は格段に下がっていった。どうしてもあの頃の制服を超えることが出来ないと、気が付いてしまったからだ。

Tシャツにデニムとオールスターで過ごしていた大学3年生の私は、いつの間にか真っ黒なリクルートスーツに身を包むようになり、4年生の終わりにはもうオフィスカジュアルへと路線を転向し、社会人になる準備をしていた。もうわたしは無敵じゃなくなった。

社会人になったわたしは、オフィスカジュアルでの出社がOKの会社に就職したため、制服という概念からも卒業した。あの制服は大切にクローゼットのなかで眠っているけれど、もう出番はないだろう。

銀行員やBAさんに転職をすれば、もしかすると制服を着ることが今後あるかもしれない。だけどあれを超える無敵の制服にも、制服をまとったたくさんの青春にももう出会えないんだろうなと思う。