あなたを飲みに誘った。あなたの記憶に私を焼き付けたくて

これで最後にしよう。そう決めた。
10月から転勤で東京に行くあなたと、会うのはこれで最後にしようと思った。

「東京行く前に飲みに行かない?」
その言葉を伝えるのに、躊躇はなかった。
あなたもすぐに「行こう!」と返信をくれた。

その日から私はホットペッパーとにらめっこを続けた。
私の住む場所でも、あなたの住んでる場所でもなく、あの子の住んでる場所でもないところ。
普段なら行かないような、小さな居酒屋に決めた。

どんな服を着ようか、どんな髪型にしようか、リップは?香水は?
毎日そんなことばかり考えていた。
あなたの記憶に私を焼き付けてほしくて。

あなたから直接聞けていないけれど、あなたはあの子と一緒に東京に行く。
そんな当たり前なこと聞くまでもないね。
最後は笑って終わりにしたい。

一緒に飲みながら、数年前のあの日を思い出していた

「待った?」
あなたと飲むのは、もう随分と久しぶりで、ドキドキした。
この日のためにひっぱりだしたお気に入りのワンピース。
あなたはチラッと見て、「そのワンピース、素敵だね」と言ってくれた。

他愛もない話ばかりで、ほんとに聞きたいことはやっぱり聞けなかった。
酔っているフリをして、グラスをもつあなたの横顔を写真に収めた。
あなたは無邪気に「やめてよ~」って言いながら、私に向かってシャッターを切った。

「最後だから、一緒に撮らない?」
「最後だから」この枕詞さえあれば、なんでもできる気がした。
初めて撮れたあなたとの写真。
ちょっとブレてるけど、それすらも愛おしい。
きっとすぐ消されてしまうのもわかってる。それでも嬉しかった。

空になったあなたのグラス、少しだけ残ってる私のジンライム。
あなたに恋をした数年前のあの日を、思い出していた。
初めて一緒に飲んだとき、みんながトイレに立ったすきにあなたは私にキスをした。

徐々に明るくなる空の下で、私とあなたはなんとなく手をつないでいた。
バス停から出ていくバスをいくつも見送った。
「そろそろ帰らないと」
そんな私の言葉に寂しそうな顔をしたのはあなたのほうだったね。
あれはまだ暑い夏の日のことだった。

最終バスを見送った。あふれ出しそうになる気持ちを抑えて

「そろそろでる?」
私とあなたはお会計を済ませて、お店をあとにした。
少し肌寒くなった外の空気と、秋の虫たちの声。
ああ、もう終わりだ、胸がキュッとなった。

このまま終わりだなんて名残惜しくて、バス停でなんとなく時間を過ごした。
「もうそろそろ終バスがきちゃうから」
あなたにそう言うと、
「帰らないとだめかな?」
と言って、私を強く抱きしめた。

最終のバスが私たちを横目に見ながら通り過ぎていった。
心の中の「帰らなくていいよ」が出ないように、必死に抑えた。
もし、私がここで首を横にふれば、きっと、もう戻れない。
強く抱きしめられたら、「行かないでよ」って言ってしまう。
だから、私はあふれ出しそうになる気持ちを抑えて言ったの。
「帰ろう」

無情にも、近くのホテルの明かりが私たちを照らしていた。
あなたは優しく私の頭を撫でて、抱き寄せた。
このまま時間が止まればいいのに、このままあなたがずっとここにいればいいのに。
叶うはずのない気持ちを胸の中に閉じ込めた。

見送った最終のバス。あのとき見送った始発のバス。
もし、あのとき、あなたにきちんと伝えていたら?
そんなどうしようもない後悔ばかりが頭をめぐる。
タクシーに揺られながら、私はあなたの顔も見れずに、窓の外の過ぎる建物ばかりを見ていた。
私の寂しさも、後悔も、少しの罪悪感も、すべて夜が持ち去ってくれればいい。
雲一つない、大きな月が見える夜だった。

あれから5年が経った。
もうあのお店は潰れていた。
今でもあのバス停の前を通るたびに、私はあなたのことを思い出していた。