揺れて、音を聴く。目の前のDJが大音量のミニマル・テクノを流している。
チカチカと目に入ってくる無数のライト。水滴だらけのグラスを片手に虚ろな目をして揺れる。氷で薄くなった酒は何味だかもはや分からない。
延々と繰り返される一定の音によって時間は進まず、ずっと同じ時空の中に閉じ込められているように感じる。
音に耳を傾け、酒を飲み、身体を揺らす。私にとって大切な時間
「飲んでる?」
「飲んでるけど、もうない」
「なんか買ってこようか」
「うん、ジントニックがいい」
「飲みすぎ注意ね」
そういじわるに言う彼に頭を撫でられて私は微笑む。彼は誰だろう。誰だっていいんだけど。このハコの中にいると私は自由で、彼ら彼女らも自由で、誰?とかそんなことは重要ではない気になってくる。
この世界には重要な事が多すぎて、たまに生きていられない。だからこうして音に耳を傾け、酒を飲み、身体を揺らす。目を瞑って何も考えずにそんなことが出来る時間が私にとっては大切だった。
にぎやかなフロアの中、人をかき分けて歩いてくる彼が見える。両手にグラスを持ち、ニコニコしながら歩く彼はライトが当たって神々しく見えた。
「後光がさしてるよ」
「何?聞こえない」
「神様みたい」
「俺が神?何それ」
そう言って笑う彼からグラスをもらい乾杯をする。何杯目か分からない酒を、誰だか分からない彼と飲み、知らない音を聴いて身体を揺らす。隣に彼はいるけれど、揺れている私は一人で、この世界に一人だけ浮遊しているような気分になる。
ハコの外で感じた不快感。急に時間が進んでいる感覚に吐き気がした
ズンズン響く低音に身体が震え、より酒が浸透していき、倒れそうになった。足がふらつく。
疲れて端っこにあるスツールに腰掛け煙草を吸うと、さっきまで揺れていた脳みその血管がキュッと縮こまって少しだけ目が開いた。
DJの入れ替えをぼんやり見ながら携帯を開くと深夜の1時だった。顔を上げるとさっきの彼が当たり前のように隣にいて、一緒に煙草を吸っていた。
「俺の出番までいてね」
「何時?」
「4時」
「遅すぎる、もう無理かも」
「お願い、もう一杯おごるから」
「てか、DJだったんだ」
「さっき言ったじゃん」
「ミニマル・テクノ?」
「ミニマル・ダブ」
「いいね、聴きたい」
「絶対聴いて」
「分かった」
「何飲む?」
「リッキー」
「ここにいてね」
「うん」
そう言われて私は外に出た。クーラーが効きすぎたハコの中、寒さに耐えられなくなって外の階段に座った。ハコの外に出ると、急に時間が進んでいる感覚に戻って吐き気がした。
じんわりと汗がにじみ、不快感に耐えられず煙草を吸う。
ハコの入り口でキョロキョロしている彼と目があって、小走りでこちらに向かってくる彼はあんな顔だったっけと、元々知らない人だけど、さらに知らない人のように見えた。
「帰ったかと思った」
「ちょっと寒くて」
「外暑くない?」
「今はちょうど良いよ」
そう話しながら受け取ったリッキーを飲んで、リッキーにして良かったと思った。トニックの甘さに疲れて来ていたから、リッキーの爽やかさで生き返った。
「やっぱリッキーだね」
「やっぱリッキーなの?」
「そうだよ、もうリッキーで良かったよ本当」
「そっか、良かった」
意味のない会話に安心する。にじむ汗、煙草の香り、暑い夏の深夜の空、口の中に広がるジンの香草感、ハコの扉が開いて漏れてくる一定の音、全てが私の血肉になっている。
リッキーとは真逆の、爽やかさなんて全くないこんな日々、じわりとにじむ汗が、間違いなく私の青春だった。
翌朝、また繰り返される一定の日々の中。なんとか生きていける気がした
翌朝、家のベッドで目を覚まし、どうやって帰って来たっけと考える。
インスタグラムを開くと、昨日行ったハコがストーリーを更新していて、彼がDJをしていた。そこに映る彼はやっぱり知らない人で、繰り返される一定の音が心地よくてかっこよくて、最後までいれば良かったなと後悔した。
起き上がってシャワーを浴びて会社に向かう今日もまた、繰り返される一定の日々の中にいて、色んな音や香りや味と混ざりあって、なんとか生きていけるような気がした。
窓を開けるとじわりと汗がにじんで、夏だなあってつぶやいた。