普段は快く送り出してくれる彼が、その日は違っていた
私は22歳の実家暮らし、しがない会社員です。
そんな私にも忘れられない夜があります。
当時の私は20歳で、交際して数ヶ月になる彼氏がいました。彼はとても優しくひょうきんな性格で、好みや趣味も似ていて、遊ぶのもご飯を食べるのも何もかもが楽しかったです。
その夜は突然やってきました。
交際前から仲良くしていた同期の男女グループで飲みに行ってくるね、と彼に電話で伝えたところ、行かないで欲しいと言われました。
いつもならいってらっしゃいと送り出してくれるのに、どうしてだろうとは思いつつも、
「束縛されるのは嫌だっていつも言ってるよね、たまにしか遊びに行かないんだから行かせてよ」
と、きつい言葉を投げてしまいました。
それでも引かない彼に、だんだん腹が立ってきて、
「もういい。私の生活を制限するなら別れたい」
と言ってしまいました。言い合いに勢いが増して、思ってもいないこと、相手を傷つけるための言葉を言い合い始めてた時に出た言葉でした。
「わかった。俺死ぬから」
そう言って、電話を切った彼。遊びに行きたい気持ちと、そんなことぐらいで死なないだろという考えの私は、そのまま遊びに出かけました。
メッセージを送った2日後、返信をくれたのは彼の母だった
その日の日付が変わる頃に、頭を冷やして冷静になった私は、このまま関係が終わるのは嫌だなと思い、彼に言い過ぎだことへの謝罪と今度ちゃんと話そうという内容のメッセージを送りました。
メッセージを送ったあと、なかなか既読にならず、返信も来なかったので、何かあったのでは……彼の家に行って様子を見た方がいいのかな、などと心の中はそのことでいっぱいでした。
2日後の朝、連絡が来たのは彼のお母さんからでした。
「息子が自殺未遂を起こして意識不明の重体です。連絡するか迷いました。あなたを責めてしまいそうで」
その送られてきた内容に頭が真っ白になりました。どうしたらいいか分からず、部屋でぼーっとしていました。いつもの時間になっても起きてこない私を心配に思って起こしにきたお母さんの姿を見て、涙が止まらなくなってしまいました。
ゆっくり話を聞いてくれて、
「何があっても私はあなたの味方だからね」
と強く言ってくれた言葉で彼に会いに行く決心がつきました。
集中治療室から重症病棟へ移った彼。まだ、意識は戻っていなくて…
最初は断られましたが、意識がなくても会えなくても、病院に行かせて欲しいと何回も彼のご両親にお願いをして病院を教えてもらいました。
病院について、彼のご両親と病院の先生に挨拶をして、意識は戻ってないけど容体は安定したから集中治療室から症状が重い病棟の方へ移動している、短い時間なら彼に会える、という説明を聞いて病室に向かいました。
病室に入る時に先生から、
「声をかけてあげると意識が戻ってきたりすることがあるから、お話ししてあげてね」
と言われて、彼の両親も気を遣ってくれて彼と病室に2人きりにしてくれました。
子供から離れたくないはずなのに気遣ってくれた優しさと、目を瞑ったままの彼を見て涙が止まりませんでした。たくさんの謝罪と目を覚まして欲しい祈りと感情も顔もぐちゃぐちゃになりながら、眠っている彼の横で話しかけ続けました。
数十分後、彼が唸り声を上げながら目を覚まして、急いで先生を呼んで、診てもらいました。彼が私に「ごめんね」と言ったその言葉に、また涙が溢れました。
生きていたから話ができた。あの夜を乗り越えて、2人で生きていく
そこから数週間入院をして、通常通りの生活を送れるようになるまで少し時間がかかりましたが、彼は元気になりました。元気になったあと、腹を割って色々な話をしました。
あの日、彼は仕事で大きなミスをしてしまい、私に話を聞いてもらいたかった、ちょうどその頃家族との折り合いも悪く、しまいには彼女に別れ話をされてもう生きる未練がなくなってしまったと話していました。
今、生きているから聞けた話で、もし死んでしまっていたら私は何も知らず、私自身も生きていくことが辛くなっていたと思います。これからのことをたくさん話し合って、交際を続けていくことにしました。
そして2年経った今、改めて両家のご両親にも挨拶をして、結婚を前提に来年同棲を始める予定です。これからもたくさん壁はあると思いますが、死ねる勇気があればなんでもできるよね!という気持ちで2人で頑張っていこうと思います。
たくさんの方に迷惑をかけて、支えていただいて、私たちには今があります。感謝してもしきれません。
あの夜があったから、私達は今を大切に生きています。