あの夜があったから、とは思わない。
あの夜。
潰れてぐしゃぐしゃになった紙切れを見つけて、わたしはようやく自分に戻れた。

真逆の恋人。全てが違いすぎる彼との日々は途方に暮れることもあった

元々、1人で生きていけるような人間でありたいと思っていた。自分で稼いで、自分で生活して。しっかりと自らの人生を歩んでいると、自分自身に証明したかった。
その恋人とは、新卒で入社した企業の、ツライ新人研修の最中に出会った。研修と称して、朝7時には出社して会議室の掃除をし、連日深夜22時とか23時頃まで社会人たるものの責任を議論させられるような毎日。

作業のため集まった同期の中で、恋人だけ、初めて話した時のことを覚えている。どちらからともなく声をかけたりして、何度か2人で会うようになった。

そしてそのまま、付き合うことになった。
しかし恋人は、人生で関わったことがないと感じるほど、わたしと真逆の性格をしていた。わたしは過程主義だが、恋人は結果主義。野菜と魚が好きなわたしに対して、肉しか好きじゃない恋人。考えすぎて一歩引いてしまうわたしに対し、恋人は、状況を変えるためなら何でも行動する。

育ってきた環境も考え方も経験も、全てが違いすぎて、激しい喧嘩を何度もした。自分の伝えたいことがこんなにも伝わらない相手なんているのか、と途方に暮れることもあった。

彼を失うことが怖くて、恋人が求める枠に上手く自分をはめ込んだ

自分と違いすぎて、そこに惹かれた。その存在が、お互いにとってあまりにも大きく、もはや恋愛感情という名前は適切ではなかった。何度も何度もぶつかりすぎて、好きかと問われたら、正直分からない。

それなのに、離れることができなかった。この先の人生に、関わっていないことが考えられない。好きかどうか、自信を持って答えることもできないのに、ただただ大切で、大きい存在だった。

でもいつからか、その大きさを失った時、どれだけの身をもがれてしまうのだろうと怖くなってしまうようになった。怖くなってしまって、わたしは恋人に寄り掛かるようになっていた。
恋人が求める枠の中に自分を当てはめて押し込んで、ほんの少しはみ出すことも許さない。自分が自分でなくなるようで怖くて、隠れて1人で何度も泣いた。
枠の中でしか何も見られなくなって、家族も友達も自分の心でさえ外に追いやった。もう1人では生きていけないかも知れない。枠から外れたら何もできないかもしれない。それを、恋人も分かっていたのだと思う。すでにあの頃には、後戻りできなくなっていた。

自然な流れで同棲を始めて、10か月経った頃。恋人の異動が決まったので、引っ越しすることになった。
でもなぜか、引っ越し先の内見は1人で行くし、部屋にはわたしの荷物を一切入れないと言い張った。この時すでに恋人は、メッセージも雑になり、わたしが家にいる時間は帰宅しないようになっていた。誰もいない部屋で眠るのが嫌で、わたしは実家に戻るようにしていた。
少し前から感じていた違和感に、わたしは目を背け続けていたのだ。でも、それももう無理だった。

久しぶりに部屋に戻ると、感じた違和感。偶然見つけた書類には…

そしてあの夜。
ある時、少し期間が空いてから引っ越しの荷造りのために部屋に戻ると、知らない生活感に溢れていた。
流しに置かれたコップ、洗濯機に放り込まれた見覚えのないTシャツやタオル、風呂場に干された2人ぶんの下着。この部屋での日常を簡単に想像できてしまうほどに溶け込んだ、顔も名前も知らない他人の持ち物たち。

端に寄せられたわたしの荷物と、それらは隠されることなく、当たり前のように共存していた。信じられないことに、わたしと恋人の暮らしたこの部屋で、別の営みが行われていたらしい。もはやこの部屋に、わたしの入る隙はなかった。

見つけたのは、そんな部屋の中で、ローテーブルの引き出しの奥深くでぐしゃぐしゃに潰された書類だった。疑問に思いつつ書類のしわを伸ばして内容を見てみると、新しい物件の、申込書の控えだった。

初めて見るその申込書は1人用の物件ではなく、契約者欄の下にも文字があった。恋人の名前や住所、勤務先の下に、入居者と書かれた枠の中にあったのは、知らない女の名前だった。横に並ぶ続柄欄には、「婚約者」と記されて。
恋人が求める枠は他にもあって、その中身は、もうすでに埋められていた。

枠なんか捨てて、少しずつ自分の形を受け入れるようになった夜

わたしはこの日、どれほどの時間、床に座り込んで紙を握りしめていたかも、どれだけの荷物を持って、どんな気持ちで実家に辿り着いたのかも、幸か不幸か一切覚えていない。あれだけつよくつよく握りしめていた紙を、この時どうやって、手放すことができたのかも。
それでも、紙切れを手放すことができたあの夜。
それがあの時のわたしにできる、自分のための決意だったのだと思う。

その夜があったから、とは思わない。
でもわたしは1人になって、長い時間をかけて少しずつ枠から手を伸ばし、外に出られるようになった。祈るような気持ちで毎日を踏みしめた。呼吸すらできなくなってしまったような日々から、別れて失くしてしまった半身を取り戻すように、枠なんか捨てて、元の自分の形を受け入れるように。

あんな夜があった。
そのことが、いつか糧となったら良いと思う。