「一生乙女」。会社の先輩がわたしに命名した。結婚しても、人を好きになるのはどうしてなのだろう。ときめき部門の責任者がいればぜひ問いただしたい案件である!
何事においてもタイミングは大事だ。引っ越し、転職、結婚。そして、出会い。いくら長く付き合っても「結婚したい」というタイミングがあわなければ結ばれることはない。「結婚したい」ときに出会えば結ばれる確率があがる。だから男女関係においてタイミングは大事なのである。

結婚したあとに出会った彼。一緒にいるとときめくし、胸が苦しい

わたしが彼に出会ったのは結婚したあと。男と女が出会う必要のないタイミングだった。かっこいいわけでも、性格が好きなわけでもない。でも、なんとなく雰囲気が好きだったり、話が合ったりするからと連絡先を交換した。ご飯にも行くようになった。
“友だち”にしては距離が近く、何度も触れ合う肩や腕、ほぼ毎日続くLINE。会うといつも「お会計もう終わってますよ」「車危ないから、こっち」「荷物、持つよ」など女の子扱いをしてくれる。
わたしも負けじと「一緒にいると楽しい」「すき笑」(なにわろとんねん)など小悪魔的発言を多々している。そういう“恋人未満”に近い関係を築き上げた。
彼と一緒にいると、ときめいてしまう。ときめくと同時に胸がとてつもなく苦しくなる。なぜならわたしが人妻で、かつ夫を愛している人妻だから。彼と出かけていることは夫にも報告しているし、不倫と呼ばれるようなことはしていない。食事して散歩して暗くなる頃には解散する。

結婚しても人は人を好きになる。これが真理だと思う

会社の先輩には「ときめいている時点でアウト」と言われてしまったが、「ギリギリセーフ」な関係だと私は思っている。彼はどんな気持ちでわたしと会っているのだろう。そんなことを考えると悶々としてしまう。
「好きになった人がたまたま既婚者だった」。絶賛不倫中の友だちが言っていた。彼もおなじ気持ちなのだろうか……。結婚は契約である。世間に公式な関係だと証明できるものであり、責任も生じる。だからこの契約を脅かす不倫は罪になるのである。

でも、結婚しても人は人を好きになる。これが真理ではないか。「結婚しているから」という理由だけではどうにも気持ちが収まらないこともある。でも「結婚しているから」という理由で前に進まないという選択をすることはできる。
彼に「好きですよ」と初めて言われた日。それは人として「好き」なのか、恋愛対象として「好き」なのかがよくわからないシチュエーションだったが、ふたりの距離がまた縮まった気がした。

ときめきだけを楽しむことはできない。乙女心は残酷。

今までわたしたちは、決して交わることのない線をゆっくりゆっくりと近づけていたのだ。その過程にあるときめきを楽しんでいた。
しかし、ふと思った。限りなく線が0に近づいたとき、何を思うのだろうか。ときめきはあるのだろうか。「一生乙女」とは一生ときめきを求め続ける人のことだと思う。結婚しても、夫婦になっても。わたしもそのひとりである。
しかし、ときめきを求めすぎた結果、線が交わってしまったとき、それはもはや苦しみしか生み出さないのではないか。そうだとしたら、乙女心は残酷なものだ。純粋にときめきだけを楽しめている今でさえ、胸が苦しいのだから。
結婚したら、乙女心には要注意である。男と女が出会うタイミングは、結婚前だけでいいと思う今日この頃であった。