「俺以上にお前の事愛してくれる奴なんていないからね」。私の中で何かが壊れた瞬間。深夜から明け方にかけて続いた喧嘩の途中、捨て台詞のように彼が口にした言葉。
あの時の彼がどんな顔をしていたかは思い出せないものの、この言葉とあの声は今でも鮮明に覚えている。

一緒に居たいから、嫌われたくない。その一心で心に蓋をする日々

数年前の冬。当時の恋人と半同棲していた最中の出来事。数ヶ月も続く交際期間の中でのほんの数時間のこの喧嘩が、何年も経った今でも忘れられない。
楽しかった事、嬉しかった事だってたくさんあったはずなのに。辛い、悲しい記憶が色濃く残るのは何故だろう。喧嘩なんて、恋愛にも友情にも付き物。何なら家族とだって、小さなものを含めれば日常茶飯事。でも当時の私は、恋人との喧嘩は怖くて怖くてたまらなかった。
嫌われたくない。捨てられたくない。そんな思いに支配される。喧嘩をする度に「別れよう」とも口にする彼だったから、伝えたい事があったとしても、心に蓋をしてしまう。本音を伝えたら、きっと私を嫌って離れてしまう。そう思い込んでしまっていた。

「好きってなんだろう」。彼に抱き続けた好意の変化

何とかその場を取り繕って迎えた次の日の朝。いつもと何かが違う気がした。部屋の中…違う。隣で眠る彼……違う。物品……違う。違和感の答えを探した。その途中にとある気持ちが浮かんだ。
「好きってなんだろう」。付き合った当初は「対等でいようね」なんて言っていたけれど、果たして自分達は対等だったのだろうか。主従関係の間違いな気すらした。私が抱えた違和感の正体は、絶対的にあった彼に対する好きという気持ちの変化だった。
それから少し経ち、正式に私たちは別れた。別れる時も刺々しい言葉をかけられたけど、今となっては懐かしい。あれ以降、彼とは連絡を取っていない。
あの時、彼はどんな気持ちであの言葉を放ったのだろう。感情的になった故の言葉なのか、普段から心の奥底に溜めていた言葉だったのか。考えても考えても分からない。分かってあげられない。正直に言えば、分かりたいとも思わない。

記憶に残る無慈悲な言葉。忘れたいはずのあの夜が、私を変えてくれた

未練なんてない。執着もしていない。あの時に戻りたいとも思わない。ただ、数年経った今もなお、誰かと過ごしている何気ない瞬間にあの言葉がよぎることがある。好きな人に「好きだよ」って言われた時、素直に嬉しいはずなのに、心が弱っているとあの言葉が脳裏によぎる。
この人もまた、いつかああやっていなくなってしまうのか、と。喧嘩をしたら終わってしまうんじゃないか、と。まるで、言葉の呪いだ。あの言葉に対して「そうなのかもしれない」なんて思わないけれど、思い出す度にとてつもない虚無感に襲われてしまう。弱気になってしまう自分にまた、どうもやるせない気持ちになってしまう。
あの頃の彼が、今どこで何をしているかは分からない。きっと、どこかで元気にやっている気はする。私にかけた言葉なんて、とっくに忘れたんだろうか。忘れっぽかった彼の事だ、きっと忘れているに違いない。放った側は忘れられても、受け取った側は記憶に残る。なんて理不尽なんだろう。
ただ、あの夜があって良かったと思う。あの夜が、私を変えるきっかけになってくれたから。今でも忘れられない夜、記憶に残る無慈悲な言葉。