最後のデート。仕事終わり、乱れた髪の毛を整える間もなく彼は迎えに来た。混み合う下道を走りながら、東京タワーの足元を目指す。車の中はとても静かだったし、あかりの灯る東京タワーは皮肉なくらい綺麗だった。

突然の別れの言葉。上京して過ごした一年半、全てがキラキラしていた

「気になる人が出来たんだ」。突然告げられた別れの言葉。それは彼だけを頼りに上京した私への最終通告だった。「幸せにするって言ったじゃない。ここで私を見捨てるの?」「ごめん」。
それから数日間、普通に彼と生活し、いつも通り会社へ行った。社員食堂でAランチを頼み、慣れた作業を黙々とこなした。感情は、空っぽだった。
彼と過ごした一年半が何度も頭に甦る。秋の深まる軽井沢で声をかけられ、見知らぬ2人から恋人に変わったあの夜。彼の猛アプローチに押され、上京して都会で過ごした一年半。全てがキラキラしていた。
彼の自慢のアルファロメオでよく首都高をドライブしたし、代官山で何度もディナーを楽しんだ。仕事のスケジュールも彼の休みに合わせてとっていた。趣味のイラストを描かなくなっていったのは目を瞑っていたけれど、それも気にならなくなっていた。
彼が一年半の全てだった。彼が私の自慢だった。彼を失った私には、いったい何が残るのだろうか。

「君を嫌いになったわけじゃない」。最後のデート。最後のキス

別れた女と男の同棲生活は、残酷にも以前と変わらず優しかった。お風呂も交代で入って、一緒にご飯を食べた。同じベッドに横になり、何本か映画も観た。彼の寝癖を見つめながら、このままやり直せるんじゃないかと微かな希望を抱くなんて、私は愚かで未熟だった。
ある夜、喪失感に耐えきれず彼の前で子供のように号泣し、すがりついた時に言われた言葉、「君を嫌いになったわけではないんだ」「でも、もう遅いんだ」。
彼の顔が歪む。強がりの彼の隠しきれない素直な所が好きだった。もう、来るところまで来てしまったのだ。それは空っぽな心に響いた真実だった。
こうして迎えた最後のデート。車の中で久しぶりに手を繋いだ。恋人らしい2人に戻ったのは、本当に久しぶりだった。都内をゆっくりドライブして、帰りにコンビニに寄り、お弁当を買って食べた。駐車場から手を繋いでアパートに戻り、彼が躊躇いがちに最後のキスをした。

さようなら、私の愛しい人。あの夜が最後の魔法をかけてくれた

男と女がひとつのケジメをつけた時、あの夜が最後の魔法をかけてくれたのだ。見上げた東京タワーはあまりにも眩しくて、目が霞んでしばらく動く事が出来なかった。
あの夜、ひとつの恋が終わりを迎えた。強がりで未熟で、不完全な2人の未来に幸せを願って。夜の東京は、私達を柔らかく包み込むようにそっと寄り添っていた。
さようなら、私の愛しい人。怖がりで、甘えん坊で、それでいて飽きっぽいのにお人好しな残酷な私の恋人だった人。あなたを忘れることは出来ないし、私の心に留まって、時々やっかいな感情に押しつぶされるかもしれないね。
それでも、私たちは最後の儀式をやり遂げたから。そう思えるのは、紛れもなく、あの夜があったから。