修学旅行は中学校までは日本国内に留まっていたけれど、そのイメージは高校で覆された。
私の所属していたクラスは国際英語コースで、毎日が英語漬け。良い意味で刺激が強くて楽しい空間だった。
学年では少し騒がしい、落ち着きがないという評判ではあったし、クラスメイト個人個人で仲は良くても、全員が仲睦まじいとは言えない独特な雰囲気を常にまとっている。他のクラスからは「不思議ちゃんが多いよね」とよく言われた。確かに多様性を重視した、不思議ちゃんの集まりなのかもしれない。
語学研修が中止になり、楽しみが減った。さらに来年の修学旅行も…
高校生活で1番楽しみにしていたのは語学研修。
この高校に入学をした理由は、海外語学研修が豊富だというところが決め手だった。高校1年の時にイギリスへの語学研修に申し込んだ。でも、天気の荒れ具合の諸事情でそれは叶わなかった。凄く楽しみにしていた分ショックは大きくて、一時的に勉強のモチベーションは下がっていた。楽しみが1つ減った。
その年の冬には、1つ上の先輩方がディズニーランドに行ってきたと聞かされる。どうやら、テーブルマナーの校外学習だったらしい。クラスでは、来年になれば自分たちも行けると喜びの声が沸き上がる。
しかし、担任とネイティブの副担任から、「君たちの学年は行けないんだ。団体の場合、100人超えていないと行けないルールになっている」という言葉があった。私たちの学年は総勢94名。
聞こえてくるブーイングの中には「後輩を6人連れてリボンタイを赤にすればいい」という子がいた。リボンタイで学年分けをされており、毎年ローテーションでその色が変わる。私の代は赤いリボンタイに回ってきた。
たしかに、ディズニーランドでテーブルマナーの校外学習なんて、夢がある。でも、そんなにディズニーが好きなら、学校帰りにアフターディズニーすればいいだけじゃないか。心の中でそう思った。
しばらくホームルームが騒がしくてウンザリしているのは、きっと私だけだったんだと思う。一言で言うと精神年齢が低いという印象を受ける。
授業は退屈しなかったが、クラスメイトは鬱陶しかった。教室にいるだけで疲れる毎日に希望はあるのだろうかと、そればかり考えた。
オーストラリアへの修学旅行。楽しい思い出と、素敵な出会い
高校2年に上がってクラスの人数が3人増えた。特進コースと総合コースから1人ずつと、スペインから来た交換留学生である。新しい空気が舞い込んできた。
修学旅行に関する話が出始めたのは夏休みが明けてから1ヶ月後の10月。5泊6日は共通で、沖縄コースとオーストラリアコースを選べる。私は迷わずオーストラリアにした。
現地ではゴンドラに乗ったり、ハガキで見かける曲がりくねったキュランダ鉄道に乗ったり、動物園でコアラを抱っこしたりと、楽しい思い出が増えた。グレートバリアリーフも見れたし、グリーン島に向かう小さい船からは足元にウミガメが来るという奇跡まで起きた。
3日ほどホテル生活をしたあとは、ホームステイ先のホストファミリーと対面。
「私たちがオーストラリアンネームをプレゼントするから、貴方たちからも日本語の名前を付けてくれない?」という提案があった。私から『零』と『桜』という日本の名前を付けさせてもらった。凄く気に入って喜んでもらえた。
別れ際はやっぱり寂しくなって、ハグをしながら涙ぐんだ。「いつか日本に来てくださいね」と言葉を伝えて、また会える日を今も楽しみにしている。
帰国時、様々なトラブルに見舞われた奇妙な思い出
日本に帰国するのは夕方の5時頃と知らされ、それまではお土産にジャーキーを買って搭乗時間まで各班ごとに待機していた。
しかし、搭乗時間の12時30分になってもゲートは開かず、「エンジントラブルのため、搭乗時間は15時30分に変更致します」というアナウンスが聞こえてきた。それは私たちの乗る便だった。
生徒たちの間には戸惑いの声が広がる。お土産代に費やしたのもあって、班全員で集めた額がカップラーメン1つになった。仕方なくカップラーメンを買って班で分け合う。
海外ではお湯を入れてもらうのに1ドル掛かるらしく、店員さんに言われるまで知らなかった。今では、あの時優しく対応してくれた店員さんに感謝しかない。
2時間後、ようやく搭乗ゲートが開いて飛行機の中へ入れた。このまま今度こそ日本に着いて欲しい。早く家に帰って安心したかった。
知らないうちに眠っていた私は、周りの騒がしい雰囲気で目を覚ました。もう1時間は経過しているから、日本の領空内には入っているはずだが、飛行機が旋回して前に進まない様子。席のモニターで確認した。この日は濃霧で空港の位置が掴めないとのことだった。30分遅れで空港に着いた。
家族の顔を見て安心したのは束の間。濃霧の影響でバスや電車が動かず、車を持たない私は親と空港で朝を迎えた。空港から寝袋が配られて寝袋で眠るという奇妙な体験をした。
もう1人残った同級生と笑い合ったのもまた、奇妙な思い出になった。