クライストチャーチ空港に到着したときは長旅と不安でボロボロで…

ニュージーランドのクライストチャーチに留学していた。
初めてクライストチャーチ空港に着いたとき、13時間という長旅の疲れと、この先1年間の留学に対する不安でボロボロだった。英語もまだぜんぜん話せず、迎えにきた大学の職員に訳もわからず着いていった。

渡航前の手筈では、空港でsimカードの購入と両替ができるはずだった。でも何も出来ずに車に押し込まれて、ホストファミリーの元へと届けられた。言葉も状況も飲み込めないまま去った空港は、私のトラウマになった。
半年ほど経った後、友人の見送りに再び空港を訪れた。空港に到着してバスから降りた途端、自分でも想定できなかった動悸に襲われた。そのとき初めて自分のトラウマに気づいた。

半年間で私は何人か友人を作り、そこそこ楽しく過ごせるようになっていた。そのうちの1人を見送りながら、正直頭の中は「もう大丈夫。私はちゃんと言葉もわかるし生活もできる」と唱えることに必死だった。

構えて向かった空港。驚くほど簡単に終わった手続きに感じた誇らしさ

3度目の訪問は国内旅行だった。留学も9ヶ月目に差し掛かる頃、友人とクイーンズタウンに旅行することにした。
行く前は手続きが正常にこなせるか、やっぱり不安だった。ただ訪問するのとは違い、今度は自分で手続きをこなさなくてはならない。分からなくても事を運んでくれる大学職員もいないのだから。

こんなに構えてから行ったのに、手続きは驚くほどあっさりと終わった。旅行から帰ったとき、私はなんとも言えない誇らしさを感じていた。恐怖の象徴だった空港を克服したのだと。
この時から私は、言葉がわからないことに怖気付かなくなった。9ヶ月という一般的な留学生にしてはかなり長い時間を要したが、ここから格段に生活しやすくなったのを覚えている。

空港は私の成長のものさし。今度行くときは、どんな気持ちになるのか

最後に空港へ行ったのは帰国する時だった。空港まではホストマザーに送ってもらった。
この一年で何ができるようになったか、何が楽しかったか、美味しかったか、難しかったか、たくさん話をした。「あなたのこと誇りに思う」なんてドラマみたいな言葉をもらって嬉しかった。

空港に着いてからは見送りに来てくれた友人たちと過ごした。平日の夕方だったのに、学校や仕事の都合をつけて、たくさんの人が会いに来てくれた。日本に帰ったらしたいこと、飛行機で見る映画のこと、大学のこと、これから会うのが難しくなるけど、悲しくなるから思い出じゃなくて未来の話をたくさんした。
友達が、お別れって感じがしないね、旅行に行くだけみたい、なんて言うから、私はドラマチックに泣きそうだったのを必死に堪えていた。

この1年間、空港は私の成長のものさしだった。
楽しかった時期、苦しかった時期なんて、生活の中では明確に感じることができないけれど、空港に行った場面を思い出すたびに、私は自分の成長をしっかり確認することができる。語学力も、コミュニケーション能力も、人間関係も、空港に行くたびに変わっている。
今度行く時は、どんな気持ちなのかとっても楽しみだ。