ヤン・スヨンというのは、私が憧れている人である。どんな人か。名前から察しがつくかもしれないが、彼女は韓国人である。大学では英文学を専攻し、卒業後は韓国で有名な婦人雑誌の編集者として働く女性である。

……と、もっともらしく紹介をしてみたが、実は私は彼女に会ったこともないし、顔も知らない。さらに言えば、彼女の名前は本当にヤン・スヨンなのかすらわからない。
このヤン・スヨンという人間は、鷺沢萠のエッセイ『ケナリも花、サクラも花』に出てくる人物なのだ。
このエッセイは、鷺沢が自身の韓国留学の経験を記したものである。自分が在日韓国人であることに向き合い、自分のルーツである韓国で暮らしながら韓国や日本について、人間について、言葉について、社会について綴っている。

教科書に載っていたエッセイをまた読みたくなり購入してみると…

私が初めてこのエッセイを知ったのは中学生か高校生の頃だった。
国語の授業で扱ったか、それとも授業が退屈なときに暇つぶしがてら読んでいたか。細かいところは曖昧だが、とにかく教科書に載っていたこと、そしてそれに出てきたヤン・スヨンという女性がとても素敵だったことは確かな記憶であった。

10代の私が惹かれたものを再び確認したくなり、ちょうど桜の咲き始める春先に、本を購入し読んでみた。
教科書に載っていたのは〈第七章 ケナリも花、サクラも花〉の前半3分の1を過ぎたあたりだった。懐かしくもあり、それでいて本全体を通して見るとまた少し違った印象を受けたりした。

詳しい内容は省略するが、この本の前半の方の章ではいくつか心底うんざりした取材エピソードが語られている。
当時すでに日本で作家として活動し、かつ在日韓国人という鷺沢は韓国でも注目を集めていたようで、渡韓してからも何度も取材依頼があったようである。あくまで留学生として来ている鷺沢はかなり苦労したようである。

本の中に書かれてあった彼女の姿勢に、私は深く感銘を受けた

韓国の記者たちの対応をもどかしく思い、ときに呆れていた鷺沢に「いちばん印象に残った」「どうしても書き記しておきたい」とまで思わせたのが、ヤン・スヨンから依頼されて受けた取材だった。

私は実際に彼女がかけてきた取材依頼の電話を聞いたわけではない。韓国語で話し、通訳を介し、足りなければ英語で話し、お互いが納得のいくまで話をしていた現場に、私は同席していたわけではない。

けれど、文面から彼女の優しい人柄や鷺沢に寄り添おうとしている姿勢、鷺沢の考えを正確に汲み取ろうという意思が伝わってくる。なにしろ鷺沢に「こんなに『自分の言っていることを判ってもらえている』という感触を持ったのはそれがはじめてのことだった」とまで思わせたのだから。

ヤン・スヨンの取材に対する姿勢はもちろんであるが、私が好きなのはこの後のことである。
公園を散歩し、鷺沢はそこでケナリという花を知る。そして取材から数週間後にはなんとヤン・スヨンが日本語で電話をかけてきたのだという。「モシモシ、サギサワメグムさんはいらっしゃいますか」の一言だけではあれど、私は彼女のこの行動に深く感銘を受けたのだった。

彼女に出会って、相手に寄り添うために外国語を学びたいと思うように

私はもともと外国語を学ぶのが好きであった。それはただ単に自分の世界の広がりを感じて楽しかったからだった。だが、ヤン・スヨンという人物に出会ってからは少し変わった。
相手に寄り添うために外国語をもっと知りたいと思うようになった。言葉だけではなくその言葉が話されている国や地域の文化も勉強しようと思った。そして、相手に対して先入観にとらわれず、真摯に向き合う姿勢も大切にしたいとも思った。

鷺沢萠は世を去ってしまった。ヤン・スヨンは、今どこで何をしているだろう。
いつかケナリの咲き誇る季節にソウルを訪れ、彼女たちが歩いたであろうケナリとサクラの咲く公園を、私も歩いてみたいものだ。