私が彼女に出会ったのは、中学生の時だった。「いちごちゃん、絶対好きだと思う!」と部活の先輩に勧められて、宝塚のDVDを観せてもらった時、一瞬でその華やかな世界の虜になった。
宝塚は男役を推してナンボの世界だと思っていたけれど、帰りに本屋さんで立ち読みしていた宝塚誌の誌面で、1人の娘役さんに目を奪われた。明るいロングヘアを縦に巻いて、普段メイクで誌面に写る彼女は、芸能人まで含め、今まで出会った誰よりも可愛かった。
「こんなに可愛い人が世の中にいるなんて!」それまでジャニーズにも女性アイドルグループにも興味を示さなかった私が、一瞬で彼女のファンになった。

一瞬でファンになったNちゃん。彼女の魅力は語り尽くせない

私より10歳年上の彼女ことを、当時からずっと、親しみを込めてNちゃんと呼んでいる。昔宝塚が好きだったという祖母が、時々実際の舞台にも連れていってくれた。Nちゃんの舞台姿はとても可愛かったけれど、帰りにはいつもオフのNちゃんのポストカードを買って、学校に持っていく手帳に挟んでいた。
誕生日にコテを買ってもらって、毎朝髪をNちゃんとお揃いの縦ロールにした。Nちゃんがしているアイシャドウと出来るだけ近い色のアイシャドウをドラッグストアで探しては、学校にしていった。中高は女子校で、好きな男の子に見せるわけでもないのに、ちょっとでも彼女に近づくことにわくわくした。
中高生に出来るのはそれくらいのことだったけれど、大学生になって、時間とお金に余裕が出来ると、私はNちゃんに会いに日比谷に通うようになった。アルバイトで貯めたお金で公演もたくさん観たし、舞台人としての彼女の魅力は語り尽くせないけれど、それはまた別の話で、近くで素のNちゃんを見るのが好きだった。

出会って10年以上が経っても、私はNちゃんに憧れていた

170cm近いすらりとした長身に、風が吹けば折れてしまいそうなほど細い手足、公演の前後ですっぴんでも可愛い小さなお顔、明るい髪に高い声。生で見るNちゃんはとっても可愛くて、いつもFURLAの小さな鞄を片手に、大きなツバの帽子を被って、よくsnidelのお洋服を着ていた。
FURLAの鞄は高くて買えなかったし、彼女より20cm近く背が低い私にはsnidelのお洋服は似合わなかったけれど、髪を明るく染めて大きなツバの帽子を買った。Nちゃんが愛読していると言っていた、美人百花も購読するようになった。圧倒的に男性の多い大学のキャンパスを、明るい髪に日傘をさして歩く私は浮いていただろうが、その時はただただ楽しかった。
その後、彼女は宝塚を卒業し、私も社会人になった。Nちゃんは今も芸能活動をしているけれど、宝塚が好きだった私は彼女の舞台姿を見なくなってしまった。時々見かけるのはNちゃんのInstagramに投稿される彼女の姿だけだ。
それでも、結婚した最初の誕生日には、夫にFURLAの鞄を買ってもらった。Nちゃんがいつも持っていたFURLAの鞄。ずっと憧れていたFURLAの鞄。Nちゃんに憧れ続けて10年以上が経ち、それでもまだ私はNちゃんに憧れてることに気付かされた。

これからもずっと「推し」は私の「可愛くなりたい」の火付け役

思えば、初めてメイクをしたのも、髪を巻いたのも、染めたのも、全部Nちゃんがきっかけだった。27歳になった私は、肌が荒れやすいだとか、可愛い服が着れなくなったとか愚痴を言ってしまう。結婚してから誰に見せるわけでもないし、今はマスク生活で顔なんてほとんどわからないしと、仕事の日のメイクが手抜き気味になっている自覚もある。
しかし、時々Instagramで見かける彼女は、37歳になったはずの今でも息を呑むほどに可愛い。その姿は、私も可愛くありたい、Nちゃんみたいな37歳になりたいと思い直させてくれる。
宝塚では「贔屓」というけれど、いわゆる「推し」の応援にはいろんな種類があると思う。推しに認知してもらいたい人、遠くから公演やライブに参加したい人、グッズを集めるのが好きな人、同じファンと語り合いたい人。
その中で、私はNちゃんみたいになりたいと思い、Nちゃんは私を可愛くしてくれた。Nちゃんは私の「可愛くなりたい」の火付け役だ。そして、こんな27歳の私も、Nちゃんが可愛いその姿を投稿してくれている限り、きっと自分の「可愛くなりたい」を奮い立たせることができる気がする。