私の思い出の一着は、あの一着に決まっている。高校受験をひかえた冬の日に、父と母が買ってくれた黒のダッフルコートだ。私が育ったのは日本海側の、雪がそれなりに降る厳しい寒さの場所だ。しかも、高校受験やセンター試験(今でいう大学入学共通テスト)の時は、絶対に雪が降るというジンクス付きの場所である。
嫌がる私を引きずって、両親はショッピングセンターへ
初めての受験をひかえた私に、父と母は「防寒対策はしっかりとしていかないといけない」と張り切っていた。正直なところ、私は受験に対する意欲が低く、ろくに勉強もしていなかった。でも、なぜか私以上に張り切る彼らを、止めようという気は起きなかった。
ダッフルコートを買いに行った日は、とにかく私の機嫌が悪かった。大人なら「ああ、あれね」と経験したことがあるような、なんでもない思春期のイライラ。とにかく、親のやることなすことが、気に食わない。寄るな触るなの娘を連れて、それでも両親はショッピングセンターに向かった。
田舎なので、大きなショッピングセンターに行くには、片道三十分はかかる。車での移動中、ずっとイライラし通しの私といるのは気づまりだっただろう。同乗していた弟は、久しぶりの遠出に、何を買ってもらおうかとワクワクしていて、それがより一層気に食わない。
何を話しかけられても「知らん」としか言わず、「行きたくないのに」と悪態をつく私を、ついに構わなくなった。ショッピングをしている間、車で寝て過ごそうと不貞腐れていたので、これでついに楽になると思った。
けれど、両親はやっぱり嫌がる私を引きずって、ショッピングセンターに入った。どこもかしこも、キラキラ照明が明るくて、赤いセールの広告が躍っていたことを、よく覚えている。
父と母が真剣に選んだ一着。ふてくされた私を両親は叱らなかった
「どれでもいいよ」。受験に対する意識も低く、機嫌の悪い私は何も見ようとはしなかった。普段なら、絶対に弟とゲームセンターに行く父が、母と一緒にショップに入っていく。
「あったかいのがいいなあ」。「これとか、しっかりしてるだろ」。しきりに、「受験の日は寒くなるから」「雪が降るから」と言う彼らに、そんなことを言うから降るんだよ、とひねくれた意識さえ持っていた。
父と母が真剣に選んだ一着は、元値が一万円をオーバーする、中学生の女子には高価なダッフルコートだった。セール価格でも八千円とかだったような気がする。正直、受験ごときに、そんな無駄遣いをしなくてもいいとさえ、私は思った。
帰り道も、私はずっとふてくされ、雰囲気を悪くし続けるのに、両親は叱らなかった。私は、高校受験の時も、大学受験の時も、結局この黒のダッフルコートを着て行った。重くて手入れもしづらいが、ロングなので特に暖かい。
両親が選んだダッフルコート。大人になった今は大切すぎて着られない
大人になった今なら、あれが父と母の激励だったのだと分かる。初めての受験で全力を出せるように、勉強面以外で憂うことがないようにと、心を尽くしてくれていた。今は亡き父が、珍しく選んで買ってくれたのは、きっとそういう理由だったに違いない。
学生の時は、野暮ったいように思えて、普段はほとんど着なかった。でも、大人になった今は、大切すぎて着られなくなった。結局袖を通すことなんてほとんどなくて、経年劣化でけばけばが目立つ。ちょっともったいなかったなあ、とも思う。
親のまごころを素直に受け取っていれば、もうちょっと着たかもしれないし、それでもやっぱり着なかったかもしれない。何度か手放そうと思ったりもしたけれど、あの日の特に優しかった両親を思いだすと、それもできない。黒のダッフルコートは、私のクローゼットにずっとぶら下がっている。