母のお腹から裸で誕生した時に、「恥ずかしいから服を貸してくれませんか?」と赤面した赤ちゃんはいないだろう。
ふわふわとした自分と同じくらいの"何か"に包まれて、母のお腹の外の世界での生活を始めるのだ。

ワンピースがハンガーの上で一休みしているその姿に、私は恋に落ちた

誰しも最初にそれは"服"なのだと気付いた日があるのだろう。
私にもそんなある日があった。
小さな手を伸ばして、あの子が欲しい、をした日があった。
私にとってのその子は"大事"という名前をしていた。
"大事"と名付けられたその子は、祖母が作ったまだら模様のオレンジ色したワンピースだった。

姉達のために制作されたそのワンピースはしかし、ちょっとばかしお転婆さんだった姉達が母に言われるままに着ていた。
ワンピースがふぅーとハンガーの上で一休みしているその姿に、私は恋に落ちてしまった。
柔らかな日の光が地平線に落ちていく空と雲のオレンジ、そんな子だった。
ワンピースを着るには未だ体が赤ん坊過ぎた私は、次の日からベビーベッドに寝かされる時は手でワンピースの生地感を楽しみ、ベビーカーに乗せられる時はそのワンピースをぎゅっと握りしめながら外出する事となった。
どこにいくにも一緒だった。

自他共に認める幼少期に一番口にした言葉は服の名である「大事」

私が初めて口にした言葉がママだったのかパパだったのかは覚えがないが、自他共に認める幼少期に一番口にした言葉は「大事」だった。
それが私が服を初めて認識した時の呼び名であった。
一体どこでそんな言葉を覚えて来たのやら。
しかしながら名は体を示す、これ以上のネーミングもないであろう。
"大事"のどこも好きだったが、特に触り心地がとても好きだった。
人差し指と親指で布地を挟むと、ザリザリと心地良い音がした。
それに耳を当てるのが何よりも好きだった。
草が風を遊ばせる音にも、波が砂を混ぜる音にも聞こえた。
この世界に存在するどの音も"大事"は奏でていた。
洗濯をすると私は一緒に眠れないと泣いたが、決まっておひさまの匂いになって帰ってきた。
私は匂いと感触がより良くなった"大事"をベッドに迎え入れて、その訳を思った。
「"大事"はぽかぽかのおひさまの色をしているからだね」と眠った。

おひさまの色は、家族の色。"大事"は家族への憧憬だったのかも

私の身の丈が"大事"に近づいた時は、裾をなびかせて一緒に野をかけた。
私の身の丈が"大事"を置いていった時は、母が作ってくれたハンカチになって手を繋いだ。
「……あの布切れはなんですか?」
道行く人が、幼い女の子が毛羽立ったボロの布をいかにも大事そうに握りしめる姿を見てそう口にした。
いつのまにか"大事"は、元がワンピースだった姿を忘れられるくらいには小さくなっていた。
最後の糸が私の手の中からいつ離れていったのか、私は覚えていない。
しかし、母が雪かきで着ていたオレンジ色のジャケットに私はまたコロリと着てしまい、それから20年以上たった今でも同じオレンジ色に包まって寝ている。

何がそんなに私を掻き立てたのかは分からない。しかし、一目惚れの光景はいつだって自分より大きな背中であった。
落ち着く匂いは安心出来る匂いであった。
私が服をなくして泣くたびに家族は一生懸命探してくれた。
"大事"は家族への憧憬だったのかも、知れない。それは私の大事な事。
おひさまの色は、家族の色。