「思い出の一着」というテーマを目にして、わたしはクローゼットを振り返った。
あんなに東京の夜を一緒に歩いた一着。今は、端のほうで他の服に埋もれて眠っている。
水色の地にビビッドピンクのペイズリー。
すべての視線を縫い止めてしまいそうなほど、鮮烈なワンピース。

Twitterで知り合った20歳年上の彼。「俺の彼女になってくれる?」

『ケンジさんといると、時々寂しくなる。わたしの内面には興味がないんじゃないかなって思っちゃう』
こんなの、めんどくさいかな、と思いながら打ち込んだLINE。
結局その晩、返事は来なかった。

わたしは20歳の頃、40歳の男と付き合っていた。
色々な知り合いに「騙されているんじゃないのか」と忠告されたが、何しろわたしはそれまで男性と付き合った経験が一度もなかった。でも、歳の差を気にしていたのは彼のほうだった。今思えば、そういう演技をしていたわけだが。
当時のわたしは「歳の差なんて気にしない」と自分に言い聞かせ、未来に思いを馳せていた。

彼とは、Twitterの相互フォローだった。当時、社会福祉の短大に入っていたわたしは、福祉の仕事をしている人をフォローしていたのだが、彼はその中の一人だった。
『学生さんか。熱心で偉いね。俺は、東京で相談援助の仕事をしている人です』
彼は、福祉のことを色々教えてくれた。DMで1年近くやりとりをしていたが、わたしが就職を機に上京するので一度飲みに行こうという話になった。
ドキドキしたが感じの良さそうな人で、わたしはすっかり安心してグラスを傾けたのだった。

ふたりともすっかり酔ってお店を出た頃には、終電はなくなっていた。
そして、わたしはホテルに連れ込まれた。いや、連れ込まれたという表現は正しくないかもしれない。わたしだって、そういうことを期待していなかったわけではなかったから。
太ももを擦られながら「俺の彼女になってくれる?」と言われ、わたしは彼の「彼女」になった。

デートの最後はホテル。下心丸出しのLINE。違和感がないわけではなかった

彼に「髪を伸ばしてほしい」と言われて、何年も続けてきたショートカットへのこだわりを捨てた。「控えめな服装が好き」と言われて、派手な服ばかりだったわたしは、デパートへ買いに行った。違和感がないわけではなかった。

デートの最後はホテル。下心丸出しのLINE。
それでも彼が相談援助という人を助ける仕事をしていたことが、無意識に「この人は、わたしと真剣に付き合ってくれている」という思い込みを生んだのかもしれない。就いている仕事とその人の人格には、さほど関連性はないということを、皆さんには伝えておきたい……。

冒頭のLINEを送った翌朝、『◯◯の新曲最高だよね』というLINEが来た。
あれ?
それから1時間以上、画面と向き合った。めんどくさいと思われる恐れに駆られたが、我慢できず、正直に聞いてみることにした。
『昨日のわたしのLINE、読んだ?』
『読んだよ』
『無視?』
『別に無視してないよ』
『いや、意味がわからないよ。そういうところが、ないがしろにされている感じがするの。めんどくさい女でごめん……』
『うん、めんどくさい』

その一文に、心臓が凍りついた。

『俺たち、気が合わないみたいだし、別れようか』

目の前が真っ白になった。パニックになって鬼のようにLINEを送りつけたが、既読すらつかなくなった。
交際期間は5ヶ月だった。

わたしが悪かったのかな。あんなめんどくさいLINEを送ってしまったから。でもあんな急に別れを切り出すなんておかしい。やっぱりわたしの体にしか興味がなかったんじゃないか。
生きた心地がしない毎日も1ヶ月が過ぎた頃、わたしの苦しみに終止符を打つ出来事が起きた。
Twitterで、女性の方から『あの、もしかして◯◯さんと付き合ってますか?』とDMが来たのだ。◯◯は彼の名前だった。しかもアカウント名ではなく、本名。とてつもなく悪い予感に鳥肌が立ち、『誰ですか?』と聞いた。
一生忘れられない返信が返ってきた。
『わたし、◯◯のセフレです。TLで、彼とあなたが親しげに話しているところをよく見かけたので、もしかしてと思って……』

彼女も20代の女性だった。
『彼はきっと、若い子とヤりたいだけなんです。わかっていたけど、いつか彼女にしてくれるんじゃないかって、淡い期待をしているうちに3年経ってしまいました。あの、これ、見てください』
彼女が送ってきたスクリーンショットは、「友達づくり」とは名ばかりの、実質は出会い系アプリのプロフィールだった。笑顔の彼が写真の中にいた。
『茶飲み友達募集!おじさんだけど、若く見られます笑 どうですか?』という自己紹介を読んで、わたしは心の底から笑った。

どうして、あんな自己破壊的な行動が辞められなかったのだろう

電車を乗り継ぎ、下北沢に行った。迷いない足取りで、目的の古着屋にたどり着いた。
1ヶ月前に見かけて、素敵だなと思っていたが、彼の好みじゃないからと諦めたワンピース。以前と変わらぬ場所にあった。鷲掴みにし、試着もせずレジに持っていった。

その足で美容院に行った。後ろとサイドを刈り上げて男の子みたいにしてくださいと伝えると、店員さんは最初面食らったが、希望通りにカットしてくれた。
美容室を出る頃には、すっかり夜になっていた。駅のトイレに入り、急いで購入したワンピースに着替え、電車に乗った。

スマホが震えた。カカオのメッセージだった。
『新宿駅に着きました。西口の改札前です。無地の黒のTシャツにGパンです。茶髪のマッシュです』

新宿に到着する車内のアナウンスが流れた。取り返しのつかないところへ向かっていることはわかっていた。それでも、止まらなかった。わたしはスマホに指を走らせた。

『ごめんなさい。今向かってます。西口ですね、わかりました。服装は、水色のペイズリー柄のワンピースです。めちゃめちゃショートヘアです

わたしはそれから毎週末、アプリを使って、誰かとセックスする約束を取りつけた。危ないことだとはわかっていたが、衝動が抑えられなかった。
どうして、あんな自己破壊的な行動が辞められなかったのだろう。喉元過ぎればなんとやらと言うが、当時の自分の苦しみが今は他人事のように感じられる。
東京の夜を歩いたのは、いつもあのワンピースだった。

開け放した窓から、秋の気配が吹き込んできた。窓辺に立ち、生まれ育った田舎の景色を見渡す。田んぼには、まだ少し青みの残る稲が揺れている。
クローゼットの中で静かに眠っている彼女を起こさないように、わたしはそっと扉を開けキャスケットを取り出した。
散歩日和の、気持ちいい朝だ。