私は今24歳、看護師3年目の夏の終わり過ごしている。
仕事にやっと慣れてきて、私生活に余裕もできてきた。貯金も少しづつ溜まってきて好きな服を買えるようになってきた。
そんな私には去年買った大切な勿忘草(わすれなぐさ)色のトレンチコートがある。
何かあった時に誰かを助けたいと思い、看護師を目指した
私が看護師を目指したのは高校生3年生の時のこと。学校へ向かう電車で隣にいた若い女性が突然私の足元に倒れてきた。
呼吸が苦しそうな女性と、何かしなくちゃいけないのにどうしたらいいか分からない私。周りの大人はこっちを見ているが誰も助けようとはしなかった。駅員さんが騒ぎを聞きつけて、ストレッチャーで女性を連れて行った。
この体験が悔しくて、何かあった時に誰かを助けたいと思い、私は看護師を目指した。
無事に大学に合格し、看護師の卵としての生活が始まった。大学生活はとてもキラキラしていると思っていた。
今までは長いスカートの暗い色の制服を着ていたが、大学ではピンクや水色や白のスカートのかわいい私服を着て、高校生までは出来なかったアルバイトや飲み会やサークルなどで毎日楽しく騒いで青春を過ごす予定だった。
しかし、看護学生に待っていたのは毎日9時~18時半までの授業、それから怒涛の課題たち、病院実習では、記録に追われて2時間睡眠で病棟に向かい、忙しそうな看護師に気を使いながら声をかけて怒られる毎日だった。
そんな中で、かわいい服を着ることも恋愛することも忘れて、毎日を必死に憧れの看護師になるために過ごした。
そして4年後の4月に晴れて看護師になり、病棟で働き始めた。
これを来て彼に会いたい。最後のお店で見つけた勿忘草色のトレンチコート
分からないことだらけの毎日で、辛いことの方が多かった。それに、分かってはいたが、人の命と向き合う仕事であることを痛感する毎日であった。
昨日まで話していた人が今日亡くなる。泣いてる暇なんてない、悲しむ余裕もない。そんなことが当たり前の日常となっていた。そんな自分のことを嫌いになっていた。
そんな時に、
「悔しいね、悔しい。僕は誰かを助けたいと思って医者になったんだ。かっこいいでしょう。でもさ、助けられないことの方が多いんだ。医療は魔法じゃない。自分の無力さを感じるんだ。悔しいね」
と話してきた先生がいた。スラリと細くて身長が高くて白衣が似合う人だった。
私はこの日をきっかけに彼のことが好きになった。どんなに辛くても忙しくても、彼が病棟にいるだけで頑張れた。
ある日、彼の友だちの先生と彼と私で食事に行く機会があった。そこで連絡先を交換し、2人で遊びに行く約束をした。
私は服をすごく悩んだ。今までおしゃれなんて気にしてこなかったことを後悔しながら、あちこちお店を歩き、何を着るか考え続けた。
もういいや、帰る、と思った最後のお店で水色のトレンチコートが目に留まった。
膝下の長い裾に、手首はキュッとベルトで結んである。うしろでリボンを結ぶと足が長く見えるらしい。
これを来て彼に会いたい、そう思った。一人暮らしの私にはとても高かった。それでもこの服で彼に会いたかった。
たくさん泣いた。想いは伝えられなかった
春風が吹く、少しずつ暖かくなってきた3月のことだった。海の見える公園で待ち合わせた。
彼は「いいね、春っぽいね」と言って、いつもの笑顔で笑った。
彼とたくさん話した。4月からコロナ病棟の看護師として働くことになったこと、声の小さい外科の先生のこと、患者さんと喧嘩しちゃう先輩看護師のこと、好きな食べ物、好きな音楽のこと。一瞬で時間は過ぎて行った。
夜風は冷たく、トレンチコートでは少し肌寒くなってきた。
そんなとき彼は、
「4月から違う病院に行くんだ。君がいたから頑張れたことがたくさんあった。ありがとう」
と言った。私はたくさん泣いた。想いは伝えられなかった。
コートの袖は藍色になっていた。
1年前の3月のことを考えながら、勿忘草色のトレンチコートを来て夜勤のため病院に向かっていた時、後ろから聞き覚えのある優しい声がした。
「ただいま!4月からよろしく。こっちのコロナの状況はどうだい?大変だったでしょう。」
彼は今年の4月から帰ってきた。
今も、コロナ病棟で、私たちは悔しい想いと自分の無力さを感じながら、最大限の医療を尽くしている。彼と一緒に、最後までコロナと戦う。そして、いつか、たくさんおしゃれをして、彼と街をデートするその日まで。