空っぽの目が嫌だった。
私を見ていない、私の表面しか見ていない、あの空っぽの目が嫌だった。
恋人がいない自分に焦り、流されるまま年上のその人と付き合った
その人と知り合ったのは、大学生の時だった。
あの頃の私は、恋人のいない自分に焦っていた。彼氏がいたことがないということ、好きでもない人に言い寄られるのを面倒に思っていたこと、周りの女の子たちみんな彼氏がいたこと。恋人が欲しかった。"普通の女の子"になりたかった。
好きが何かもわからないまま、恋が何かもわからないまま、ちょっと仲良くなった歳年上のその人と、流されるままに付き合った。告白されたから、好きと言われたから、付き合ってと言われたから、はいと答えた。少しどきどきしたし、好きだと思っていた。
デートをした。映画館に行き、水族館に行った。手を繋いだり、抱き締めたりすると、その人は喜んでいた。キスもした。"普通の女の子"になれたと思った。
「あっこちゃんはかわいいよ」
その人は、セックスの時によくそう言った。
2人とも初めてだったし、2人ともよくわからないまま、よくわからない行為をした。私の上でぐにょぐにょ動きながら、かわいい、とか、きれい、とか言うのが好きだった。
何度かそういう夜を過ごした。その人が望むことをした。きもちよくはなかったけど、きもちよさそうにした。きれいと言われて、喜ぶふりをした。彼は喜んだ。
デートのあとはホテルに行く。それがわたしたちのお決まりのコースになった。気が乗らなくても、誘われるたびに、わたしはにこにこしながらうなずいた。
「かわいいよ」とぐにょぐにょ動くその人の下で、私は死体になる
彼が私のことなんか見ていないことに気がついたのは、付き合って1年くらいの、夏の終わりの夜だった。
その日もホテルに誘われた。その日はいつも以上に気が乗らなかった。それでも、久しぶりのデートだし、と思って、にこにこしながらうなずいた。
いつものように、お気に入りの服はぐちゃぐちゃの布のかたまりになって、かわいい下着はゴミみたいに散らばっていた。いつもどおり、私はベッドの上で、カエルの死体になった。
私はその夜、どうしてか気がついた。真っ暗な彼の目は、私を見ていない。彼の目の前にいる女の子の、表面だけを見ている。彼は、彼の好みの見た目の女の子と、セックスがしたかっただけなんだ。私が何を考えて、どう生きて、どんなことを大事にしたいのか、たぶん彼にとってはどうでもいいことだったんだ。わたしはその夜、どうしてか気がついた。気がついてしまった。
もしかしたらずっと前からわかっていたのかもしれないけれど、私は見て見ぬふりをしていた。"普通の女の子"でいたかったから。
そう思うと急に、その人が、なんだか得体の知れない物体に思えて怖くなった。
「あっこちゃんはかわいいよ」と言いながらぐにょぐにょ動いているその人の下で、私は本当に死体になった気がした。
"普通の女の子"なんてどこにもいないから、私は私を愛したい
あの夜のことを、私は時々思い出す。
あれからまた何度か失敗したり間違ったりして、私も少しだけ成長した。成長する中で、"普通の女の子"なんてどこにもいないことも知った。
私たちは、それぞれ人間だ。いろいろな人間がいることを知り、セクシャリティにもいろいろあることを知った。今でも自分のセクシャリティはよくわからないし、好きだとか恋だとかもよくわからない。
けれどもうあの頃の私のように、恋人がいないことに焦ったりしないし、自己防衛のために恋人を作ろうなどとは思わない。むしろ恋人のいない今の自分がとても好きだ。
ただ、彼の空っぽの目や、自分の気持ちに気がつけなかったことを思い出して、時々どうにも気持ちが悪くなる。嫌悪感にまみれて、自分が汚いもののように感じることもある。そんなことを感じる必要がないのはわかっている。私はもうあの頃のように、自分を大切にできないような付き合い方はしたくない。
私は私を愛したい。
ここに書いたのは、やっと過去のことになりつつあるあの夜のことを、吐き出してしまいたかったから。
あの夜があったから、私は私を愛そうと思える。あの夜があったから。