街中ですれ違う高校生たち。その姿を見ると、目で追いたくなるような、視線をそらしたくなるような、そんな複雑な気持ちになる。脳裏をよぎるのは、制服を纏った高校時代の自分自身。
彼女たちは、スカートを可憐に揺らしながら、キラキラした笑顔で、周りなんて見えていないようだ。

人生初の挫折で生まれた卑屈。彼女たちは別の世界で生きている

私はいわゆる「陰キャ」だった。高校時代は正直黒歴史と言ってもいい。部活に勉強に交友関係に。私が恋焦がれていた高校生活は、想像とは異なるものだった。人生で初めて挫折を経験し、人生は手強く、誰にでも優しいわけではないことを知った。
部活を辞め、半ば意地で必死に勉強した。テストの順位こそ私の世界で、交友関係も狭く小さな世界で生きていた。それとは相反して、同じ空間には、全く違う世界を生きる同級生たちがいる。
集団で集まり、楽しそうにおしゃべりをする。スカートを短くして、先生に注意される女子グループはきっとどこにでもいる。私は、そんな彼女たちが苦手だった。廊下を陣取り、大きな声でしゃべる彼女たちは、周りの事なんて見えていない。
人生初の挫折で生まれたのは卑屈な私だった。私とは真逆のところにいる彼女たちに、勝手にコンプレックスを抱いていた。でもそれは、きっとただのあこがれだった。今なら素直に認めることができる。

当時は、自分のことをなんてちっぽけで惨めなのだろうと思っていた

家で制服姿の自分を鏡で見ると、なんだかすごく惨めになった。同い年で生まれも育ちも似た彼女たちにできて、自分にはできない。自分とは全く違う輝きを放つ彼女たちと、隅で小さくなり日々をやり過ごす私。
スカートをちょっと短くしてみれば、少し世界が変わる気がしていた。家の鏡の前で、スカートを腰の部分で折り、スカートを短くしてみる。ブレザーのボタンを開けて、カーディガンを見せてみる。でも、鏡の中にいるのは、なんら変わらない私だった。何も変化なんてない、頼りない膝小僧が見え隠れしている、それだけの私だった。
今思えば、何にそんなにコンプレックスを抱いていたのかと思う。あの時必死に勉強した私は、第一希望ではなかったが大学に進学し、就職し、大人になった。高校の時に経験した挫折があったからこそ、自分の性格について理解し、向き合い方を学んだ。それで十分だった。それなのに、当時の私は、なんてちっぽけで惨めなのだろうと思っていた。
自分とは別の世界にいる彼女たちを羨みつつ、まるで自分はその外からじっと彼女たちを眺めているだけだった。

大人になった私から、スカートを短くできなかった私へ

今はそんな自分に言ってあげたい。

「大人になった私は、世間は、そんなスカートの短さで人をはからない」と。

スカートを短くできなかった私は、先生や周りの同級生からの目が怖かった。ちょっとでも目立つことが怖かった。
あの時スカートを短くできなかった私は、確かに小さな社会の中で生きていたのだ。他者と自分を比較しながら、他者にあこがれ、それをできない自分を知った。規律と欲求のはざまで揺れ、他者と自そんなことをぐるぐると考える私が憧れていたのは、彼女たちの強さだった。
小さなことに怖気づき、くよくよ卑屈になっている私には微塵もない強さを、彼女たちから感じていた。私は彼女たちのスカートの短さにあこがれていたのではない。強さに憧れていたのだな、と。
世の中はもっと別の物差しで出来ている。そんな視点を見出すことができたのも、あの時の私の経験があったからなのは間違いない。屈折した心の中で、自分と葛藤した私がいたからだ。
それでも今でも、高校生の彼女たちの強さにはきっと勝てないと思う。あの歳の女の子には、特有の強さと輝きがあるのは間違いない。だから、私は、いまだに彼女たちの姿を目で追ってしまう。高校生の彼女たちは、一生私のあこがれだ。