憧れの人。今までいなかった。あの日までは。
私にとって唯一の憧れの人。それはストリートピアノを弾いていた男性だ。名前も知らない。なんなら、顔もよく知らない。ふざけているのかと思うかもしれないが、至って真面目だ。
地元でストリートピアノを弾く男性を、理由もなくずっと眺めていた
その人を見つけたのは地元の駅。普段は降りないのにたまたま通りかかると、男性がピアノを弾いていた。駅に置いてある、誰が弾いても良いピアノだ。
改札を出て、どこからか音色が聞こえてくる。多分知っている曲だったと思うが、もうなんの曲か忘れてしまった。
階段をのぼりきると、確かにそこに男性がいた。こちらに背を向けて弾いているから、後ろ姿しか見えない。
今、YOUTUBEによってストリートピアノは有名になりつつあるが、私が動画で見たことのある弾き手の方ではなかったと思う。
その時予定もなかった私は、じっとその人の斜め後ろから弾く姿をずっと見ていた。理由もないけれど、ただ黙ってそのピアノの音色を飽きるまで聞いていたかったのだ。
なぜかは分からないけれど、無性に感動していた。ものすごい難しい曲を弾いていたわけでもないのに。どれだけ時間が経っただろう。曲を弾き終えて立った男性は、私の視線に気づいたようで話しかけてきた。
ストリートピアノを弾く男性を見て、猛烈に自分もやりたくなった
弾きますか?そう聞いてきたのだ。熱心に待っているから順番待ちでもしているのかと思われたらしい。そうではないので、大丈夫です、と断る。本当に弾けないんです、そんな感じのことを言ったと思う。
そう、私はピアノが弾けないのだ。弾けないと言うべきか、弾いたことがない、と言うべきか。どちらがふさわしいかは分からないが、そうなのだ。
女の子の習い事の鉄板とも言えるピアノを、私は習うことなく大人になった。他の習い事はしていたのに。
それが数年後、突然、ストリートピアノを見て感動したことで、猛烈にその場で自分もやりたくなったのである。同じ場所でピアノを弾き、知らない人に囲まれている姿がなぜか想像できた。全くやったことがないにも関わらず。
何かを行動させる力を持っている人こそ、憧れられる人だと思う
急いでネットでピアノ教室を調べて連絡をとった。やりたい、と思ったら私は早いのだ。頭と手がダイレクトに繋がっている。
そして、その男性を見てから一か月もしないうちに、私はピアノを始めた。親にはプロにでもなるの、今更、と笑われた。別にそうではないが、やりたいと思ったらその気持ちが消えないうちに始めるのがポリシーであった。
その人は、私がその人に憧れてピアノを始めたことを知らない。当然だ。知り合いでもなんでもない、ただの通りすがりの人。
それでも、その人はすごいと思う。なぜなら、他人に憧れられるだけでなく、その人の行動にも影響を与えたからだ。憧れ、という言葉の本当の意味は、こういうことなのだと思う。
すごいなあ、とかそういうことを感じさせるだけではなく、何か行動を起こさせる力を持っている人こそが憧れられる人なのだ。
今、私は誰かに憧れられているのだろうか。多分答えはNOだと思う。でもいつかは誰かにとってのそんな存在になれたらいい。それが人生を全うするということの一つな気がしている。自分だけで完結せずに、人にも何かを分け与えていくことが。