私が演劇を始めたのは、4年前だ。
所属する劇団は、市民劇団に近い存在で、私が参加する数年前から、当時中学生の女子が2人、在籍していた。彼女達は、幼い頃から在籍し、親が演劇団体の運営にも携わっていたこともあり、演出家からの信頼も厚かった。

演出家も認めるほど高い実力の2人に、追いつくことを目標にした

彼女達との初対面の際は、2人だけの世界観が強く、近寄り難い印象だった。発声練習が始まると、彼女達が、その場の空気を一変させた。声の大きさはもちろんのこと「張り」が違うのだ。

演出家には「大きな声」ではなく「強い声」を意識することが大事である、と教えられた。喉を痛めたり、変な発声の癖が身に付いてしまう恐れがあるからだ。彼女達は、しっかりと「強い声」を出している。素人が隣で聞くと、レベルと経験値の差に、驚いてしまう。その演出家も「彼女達を見習いなさい」と、彼女達の実力を認めており、私は彼女達に追いつくことを、目標にした。
毎月1回の発声練習などの稽古の他、年に1回、演劇公演も行われた。劇団に入って2回目の公演では、台詞や出番の多い役を与えられた。
稽古初日、私は自分の役、他の役の台詞も大体記憶していた。台詞が頭に入っていて、流れを理解していると、稽古の進み具合も早い。
「台詞量、多いのに、よく覚えていましたね、すごい」
前述の女子高生に感心された。恐らく、彼女達も、演出家に以前から口酸っぱく言われた「台本は、丸ごと覚えなさい」という教えを守っているはずなので、今回も覚えているに違いなかった。
後から入ってきた、歳上の人にも、素直な気持ちを伝えることができる。人として、素晴らしい、心が美しい人達だ。

多感な時期に小さな背中で劇団員を引っ張るのは、荷が重いに違いない

また、彼女達は、劇団員を束ねてリーダーシップを発揮したり、演出や構成を考えたりと、他の人よりも、プレッシャーは強かった。演出家からの期待に応えきれずに悔しく、耐えられず途中で帰ったこともある。
多感な時期の女子高生が、小さな背中で、10名程度の劇団員を引っ張るのは、荷が重いに違いない。気の毒で、代わってあげたくなる。彼女達の精神的な負担を軽くするには、劇団員1人1人が真剣に、稽古に取り組み、自身や周囲へ向き合う姿勢を改める必要があった。
本番が近づくにつれ、稽古が毎日行われ、稽古時間も長くなっていった。稽古開始前から、皆自発的に、柔軟や発声をし始め、心身の緊張をほぐし、士気を高める努力をした。「ここまで来たら、やるしかない」という気持ちと「皆の足を引っ張ってはいけない」と、各々が意識改革を始めたのだ。
公演本番終了後の打ち上げで、女子高生2人とその親は、涙を流した。演出家からの指摘が多く、本番前日まで、通し稽古が出来ていなかったからだ。
このまま、本番に突入してしまうのではないか。例年とは異なる流れに、内心、劇団員皆、焦っていた。

「1人は皆のために、皆は1人のために」の気持ちを大事に

本番は、大きなミスもなく、滞りなく幕が降りた。結果的に、私達は「本番に強い人達」と、演出家やサポートしてくれた方々からは評価された。「終わり良ければ、全て良し」という言葉があるが、過程の段階でも、ぬかりなく「1人は皆のために、皆は1人のために」努力すべきだと、感じた。憧れの人達の心を、もっとポジティブな感情で震わせたかった。
現在、劇団は、コロナウイルス感染回避のため、稽古や公演を中止、延期している。劇団員とも会えない状況が続いている。現時点では、2022年には、稽古や公演の計画が動き出す予定だ。
憧れの人達は、出会った頃は中学生だったが、もう大学生になっている。もし、縁やタイミングが合って、彼女達ともう一度、共に演劇ができるなら。
周囲への思いやりや、良い作品作りにどう貢献できるかをよく考えて動き、私も、頼り甲斐のある、憧れられる存在になれるよう、尽力したい。