たしか深夜3時を回っていたと思う。
私は、人通りも少なくなった六本木の繁華街の路上に立ち尽くしていた。
あの日は、息を吐くだけで自分の存在を視覚的につきつけられるほど寒かった。
泥酔したおじさんをタクシーになんとか詰め込んで送り出したあと。
自分も帰路に向かうためタクシーを拾わねば……とわかっていながらも、疲れ切った身体と心のやり場がどうしても見つからなくて、しばらくただ立っていたのを覚えている。
仕事上、「親睦会」という名目で開かれた私欲まみれのカラオケ飲み会
クライアントとの親睦会だったか、もう正確には思い出せないが、あの夜、とにかく適当な名目のもとに、仕事上のカラオケ飲み会が開かれた。
いや、もはや「仕事上」ではない。中身はとても職務に関するものではなく、ほとんど私欲で埋め尽くされていた。
女性はクライアントと私の2人だけで、あとの6人はいわゆる激動の時代を生き抜いた「おじさん」と呼ばれる人たち。
「若手かつ女性」に該当する私は、そんなおじさん達が次々と飲み干すためのハイボールや日本酒の注文に追われて、だいすきな歌を楽しむ暇など一ミリもない。
それでも、「若手かつ女性」な私には、歌って愛嬌を振りまいて、場を盛り上げるという役目もしっかり課されていた。
カラオケの採点システムを使ったチーム戦や、お偉いおじさんの十八番披露で熱気と湿度がこもっていく室内。あっという間に空になるジョッキグラスたち。
「これは何時に帰れるだろうか……」
そんな心配がよぎりだした頃、アルコールがまわりにまわったやや偉いおじさんが私に近づいてきた。
帰り道、タクシーのなかで頭は「死にたい」に支配されそうになった
「○○ちゃんは、本当にかわいいねえ……」
そう私の名前を呼びながら、顔を触りはじめたのだ。
心の底が一瞬強い衝撃で抜けてしまったような感覚になってフリーズしたが、慌てて顔面の感覚を取り戻し、おじさんから身を離した。
その後、何度か近づいてきたが、私がさりげなくかわしつづけていると、今度はクライアントの女性のほうにターゲットを変更した。
歌っているクライアントの女性に合いの手を入れつつ、抱きついたのだ。
他のおじさんたちは見て見ぬふりか、たぶん本当に酔っぱらっていて気づいていない。
慌てた私が、クライアントの女性とおじさんの間に割って入って引きはがす。
クライアントの女性は特に何も言わなかったが、相手の感じ方によっては一発アウトだったと思う。
子どもの頃から憧れていた業界で、就活も最後まで諦めず、やっとの思いで新卒入社したこの会社で、私はいったい何をやっているんだろう……。
私がやりたかったのは、おじさんたちのいいように扱われる、「若手かつ女性」の仕事ではない。
何とかつかまえたタクシーの窓にもたれながら、働くことを拒否した私の頭の中は「死にたい」という言葉でいっぱいだった。
「あの夜があったから」とは思うけど、決して感謝なんかしない
結果として私は死なずに、会社を辞めた。
あの夜、私は死にたいと思いながらも死ななかった。
でも、確実に自分を構成するどこかの機能が一度死んだのだと思う。
幸いなことに、今は新しい職場で働き、公私ともに充実した日々を送っているが、今の自分はあの頃の自分とは確実に違う。
怖いものは怖い。必要以上に人とは関わりたくない。
たくさんの人に認めてもらいたい、でも有名にはなりたくない。
以前よりも線引きをする場所が手前になってしまったのは、きっと歳をとったせいではないと思う。
それでも、今のほうがよっぽど私を生きている。
「若手」や「女性」という言葉がもつ拘束力に縛られることなく、生きている。
働き方、コロナ禍というワードが並ぶ今の時代に身を置くと、あの夜が現実だったことがときどき信じられなくなる。
「あの夜があったから」とは思うけど、決して感謝なんかしていない。
ふと振り返った時の反動で、強く前を向きなおせるように、記憶の片隅にとっておいておくだけである。