嗅覚は、脳の中でも海馬の近くにつながっているという話を聞いた。
だからだろうか。
あるにおいを嗅いだ瞬間、平手打ちをくらったかのように鮮烈に記憶が蘇り、涙がでるほど懐かしくて愛しい気持ちになることがある。
やたらでかい買い物カート。入口出口のよくわからんゲート。計り売りの大量の果物や精肉、やっぱりやたらでかい冷凍コーナー。
メルボルンのスーパーは、日本人の私からしたら、ありとあらゆるものがやたらでかく感じた。
手に取ったものが何かもよくわからないままレジへ。それは小さな冒険
高校留学で初めて親元を離れて生活するこの土地で、何を買えばいいのかはおろか、今手にとったものが一体何なのかもイマイチわからないまま、ドキドキしながらレジに並んだ。
私の前の人は、会計前にレジのベルトコンベアの上に、自分が買いたいものを置いて、レジ横に常備されているサランラップのようなものを最後に置いていた。
見様見真似で自分も同じことをする。どうやらサランラップのような見た目の磁石?は、客と客の商品の間を仕切る為のものらしい。
「よい一日を!」の挨拶を聞いて、無事に会計が終わったことに心底ほっとした。
悲しいかなそんな小さな冒険も、数回もすれば慣れてくる。買うものだってだいたい決まってくる。
自分用のシャンプーやボディーソープ、テニスに持っていくスポーツ飲料、たまのおやつのチョコレートケーキ。
ホームステイだったため私が学校に行っている間に、その他の日常的に必要なものは、ホストマザーのキャサリンが効率良く済ませてくれている。
買い物かご片手にレジに並ぶ私の前後には、やたらでかい買い物カートをいっぱいにした家族連れ。私はまだ、計り売りの購入方法を知らない。
思い切って「一緒に行きたい」と言い、ホストファミリーと買い物へ
半年経って2軒目のホストファミリーのもとに引っ越した。
おだやかな時の流れの中で、「買い物行ってくるわね!」と新しいホストマザーのシャロンが出かけようとしたので、思い切って「一緒に行きたい」と声をかけた。「すぐそこの買い出しでつまらないと思うけど……それでもよければもちろんいらっしゃい!」と言ってもらえた。
今まで留学生をわざわざ連れての買い物はやんわりと面倒がられていたので、とても嬉しかった。
今日はトマトを8個透明のビニール袋に詰め、計量器に乗せた後にビーッと印刷されて出てきた値札シールをペタっと袋の上に張り、シャロンに渡した。
「他に買うものないかしら?」と聞かれたので、「バターがきれそうだったからとってくるよ」と答えた。
レジで待つカートの中身は、牛乳・豆乳・パン・ミューズリー・チーズ・バーベキュー味の鶏肉やラム肉・バター・ビスケット・りんご・ベビーリーフ、それにさっきのトマトでいっぱいだった。
非日常の中の日常を、懸命に生きた日々を思い出すあのにおい
非日常の中の日常を、あの頃の私は懸命に生きていた。
でも彼らにとってのそれは、本当にただの日常にすぎないのだろう。逆に今、私が高円寺のスーパーでただの日常だと感じていることは、きっと誰かにとっての非日常なのだろう。
ふいに何かの拍子で化学反応がおきて、メルボルンのスーパーのにおい――やたらでかい冷凍庫と異国の食べ物がまざったにおい――がよみがえるたびに、
「ああ、私が生きていける世界はここだけじゃないんだ」
そうじんわりした気持ちになって、ふっと肩の力が抜けるのだ。