10代最後。梅雨。クシャクシャになったベッドに寝そべって、キミの帰りを待つ。
ザーッと降る雨の音だけが響いて、すぐ横にある壁いっぱいの窓が、非日常な空間を支配する。
働かない頭をもたげて薄暗い部屋を見渡した。部屋の奥にぼんやりと見える、不安定に転がった座椅子は、仲間とふざけて壊してしまったのだと聞いた。床に置かれた、空になった2Lペットボトルも、最近買ったらしい扇風機も、全部全部大きく見える。キミが、急におそろしく大きないきものに思えた。
手を伸ばし、ベッドから落ちかかっていたくたくたのブランケットを引き寄せる。「いい匂いするよね」と、女子トークで話題になったこともある、キミの匂い。
今は私がひとりじめだから、なんて自分に言い聞かせながら、ブランケットを頭からかぶった。

あの時、何してんの、って目を開けて、軽口でも叩けばよかったのに

実は、起きてた、って言ったら、どんな顔をするのだろう。先に起きたキミの、熱くて少し荒れた指が、そっと頬を撫でたこと。唇に指が触れる感触。
何してんの、って目を開ければよかったのに。軽口でも叩けば良かったのに。そうすれば、私のことをどう思ってるかだって、聞けたかもしれないのに。
他の子に比べて、仲が良いという自覚はあった。隠れファンも多かったキミが、気を許してくれているという自惚れもあった。でもそれは、過ごした時間が長いというだけで。たまたま席が近かっただけで。
「クレンジング忘れたから、買ってくる」って言った私に、ウチにあるよなんて言うヤツで。「あっほんと?」って言いながら、頭の中はドス黒いモヤモヤでいっぱいで。まあそれは百均のクレンジングシートだったので、ちょっと安心した私もいるのだけれど。キミはどうせそんなヤツなのだ。

「長袖貸してよ」って、よくできた口実。柔軟剤の匂いが鼻をくすぐる

車の音がして心臓がとくっと跳ねた。乱れた髪をぱっぱと手櫛で整えて、体を起こす。私がいるから、と珍しく鍵をかけているらしく、ガチャガチャと乱暴な音がする。
大きな影が近づいてきて、目を合わせる。ちょっと拗ねた顔をしてみる。遅いよ。ごめん、とキミが目で笑う。
ずいぶんと日に焼けた顔は、あの頃よりずっと大人なのに、私だけが変われない。ふと、何でここにいるのだろうと思った。こんなにも遠く、キミ以外何もないようなところに付いてきて、キミの匂いに包まれながら帰りを待つ。
この生活は、私には甘すぎた。あんなに軽口を叩き合ったキミでさえも甘くて、優しい。ここにいたらダメだと、心臓がぎゅっと訴える。壊したくない、これ以上は近づけない。言葉にできない分、喉が詰まった。

雨が止んだ。最後の飯かぁ、とキミがこぼす。私は「ファミレスに行きたい」と言った。「ファミレスって店の中寒いからさ、長袖貸してよ」って、我ながらよくできた口実だ。
渡されたスウェットをかぶると、ぶわっと鼻をくすぐる柔軟剤の匂い。
あの頃、近づくたびに期待した匂い。なんてこともない日常で、心が弾んだ匂い。こんな非日常、忘れてしまいたい。でも、思い出だけは、キミに焦がれたこの感情だけは、いつまでも私のものだ。

歯を磨きながらチラ見した柔軟剤のメーカーも、もう思い出せない

何かつけてる?と運転席のキミ。「まあ」とだけ答えた。キミはふーんと前を向いて、ぼそりとした声で「いいじゃん」と言った。
曇ったフロントガラスをワイパーが拭き取る。店の中寒かったわ、長袖にすれば良かった、と私を横目にキミが言う。だから言ったのに、と軽く返す。
SNSでよく見かける、サボンのフレグランス。友人からプレゼントされた、いわゆるモテ香水。スウェットを返す時は、これで香り付けしてやろうか、なんて考えながら、田んぼだらけの景色を堪能する。
この道を通った行きに、子どもみたいにはしゃいでいた私を可哀想に思った。歯を磨きながらチラ見した柔軟剤のメーカーも、もう思い出せない。