柔軟剤を選ぶ時間が楽しい。最近はお気に入りの柔軟剤が定まってきて、シャボンの香りをリピート買いしている。一時期は数種類の柔軟剤を同時期に使い、香りの違いを楽しんでいた。
洗濯を干す時に、お気に入りの香りが立ち込めるのは、小さいけれど確かな幸せだ。
元彼が愛用していた柔軟剤。ベリーとジャスミンの香り
ドラッグストアで柔軟剤を選ぶ時に、ふと元彼が愛用していた柔軟剤を思い出すことがある。忘れられない香りなのに、香りそのものはすっかり忘れている。
ベリーとジャスミンが混ざり合った甘くて柔らかい香りだったことは、はっきりと覚えている。でも、悲しいことに香りを脳内で再現することはできない。
わたしと彼がただの友達だった時に、広い講義室で雑談をしていた。彼は柔軟剤にこだわりを持っていることを話してくれた。2種類の柔軟剤をブレンドしていると語っていた。
当時、一人暮らしをしたことのなかったわたしが洗濯を担当する機会は、たまにしかなかった。柔軟剤に大して興味を持ったことのないわたしは、熱心に語られる彼の話をぼんやりと聞いていた。
自分でも気づかないうちに、甘くて柔らかい香りに慣れてしまった
彼と付き合うようになると、彼が一人暮らしをするマンションの部屋で過ごすことが多くなった。1LDKの部屋にはモノトーンのものばかり集まっていた。ソファーがなかったので、ベッドはソファー代わりに使われた。
ちょっとお行儀は悪いけれど、ベッドに寝そべって雪見だいふくを1個ずつ食べた。寝転がりながらYouTubeを見て、くだらない内容で笑い合った。何気ない日常のそばに、いつもベリーとジャスミンの香りがいた。
ベッドには彼の愛用するハリネズミの抱きまくらが横たわっていた。抱きまくらに顔をうずめると、甘くて柔らかい香りがした。柔軟剤の香りは抱きまくらにも移っていた。布団にくるまった後には、わたしの洋服にもベリーとジャスミンの香りが移っていて、嬉しくなった。
でも、自分でも気付かないうちに、わたしは甘くて柔らかい香りに慣れてしまった。最後にベリーとジャスミンの香りをはっきり意識したのはいつなのだろう。
柔軟剤にこだわる習慣も、好きだった人から譲り受けた
ふとした拍子に彼から言われた言葉を思い出した。よく振り返れば、別の元彼の言葉だった。彼の声で再生されたけれど、実際の彼はそんな台詞を口にしたことはなかった。記憶は自分で思う以上に不確かで頼りない。
好きだった人の記憶は個別フォルダに保存していると思っていたけれど、混ざり合って「好きだった人フォルダ」というざっくりした枠にまとめられているようだ。言い換えれば、甘くて柔らかい記憶のフォルダなのかもしれない。
記憶はガラスのように繊細で、霧のように不確かだ。記憶の細部は時間の経過とともに風化するし、捉え方だって変わる。ただ、香りによって半ば強制的に刻みつけられる記憶は鮮やかだ。文章や写真で能動的に残す記憶よりもずっと解像度が高い。
ベリーとジャスミンの甘くて柔らかい香りは、記憶の沼に沈んだ。でも、断片的に残った日常の些細な思い出は、わたしに寄り添ってくれる。柔軟剤にこだわる習慣だって譲り受けた。甘くて柔らかいもので彩られた毎日を、大切に過ごしていこうと思う。