彼の肩越しに見えた、ありえないほど美しい夜空

高校1年の寒い冬、初めて好きになった人と遊んだ帰り道、彼と手を繋いで歩きながら月を見た。
凍てつくように寒い年の瀬の空には、ベルベットにダイヤモンドを散りばめたような星々がきらきらと瞬いていた。

私は、たまたま見ることができたその美しい景色を、いつまでも見続けられないことを知っていた。ほんのすこし、どこかがずれてしまえばすぐに失われる景色を。
だから私はその景色を見ていたとき、ずっと息をつめていた。息をしただけで消えてしまいそうで、おそろしくて、美しく希少な一秒一秒が身を切られるようにくるしかった。

私の家の前に着いたとき、突然彼が私を抱きしめた。
そのとき彼の肩越しに見えた、ありえないほど美しい夜空を見続けることはできないとわかったとき、そしてこれから何度夜空を見上げようとその夜空を決して見ることができないとわかったとき、どうすることができただろう。
もうあの夜空を見ていなかったころには戻れない。もうあの夜空を見ることはできない。
それはとても美しかったのだ。今でも夢に見るほど。

「また今度ね」。大好きな彼に、叶わない約束をした

彼は、しばらく私を抱きしめてから、
「いーちゃん、キスしてもいい?」
と静かに聞いた。私の目を真っ直ぐ見据えて、とろけるように甘い声で、彼だけが呼ぶ愛称で私を呼んで。
愛おしく美しい時間。大好きな彼。初めてキスをするには、これ以上ないほど整った舞台であった。
でも、私は「はい」と答えられなかった。代わりに、
「また今度ね」
と彼の目を見ずに答えた。悲しかった。
彼を傷付けたであろうことも、好きな人とキスができない自分自身も。 

どんなに好きな人とでも、私は粘膜接触をすることが受け入れられないのである。本当は、ハグすることすらも戸惑った。
当時はアセクシャルだとか性嫌悪という言葉を知らなかったので、なぜ私はできないのかと戸惑ったが、大学に入ってそのような人たちの存在を知って、「ひとりじゃなかった」「私おかしくなかった」と気付いて救われた。

とてもとても大好きだったM君。叶わない約束をしてごめんね。でも、本当に大好きだったことに嘘はないの。言い訳じみているけれど、あなたに触れられなくても、私はあなたが大好きでした。

あなたはあなたのままで良い。自分の愛が伝わる人がきっといる

これを読んでくれているアセクシャルや性嫌悪のあなた。
あなたはどこもおかしくない。
カミングアウトすると、「悲しい過去があったのね」だとか「それは本当の愛を知らないからだよ」だとか的はずれなことを言われたり、否定されることも少なくないだろうけれど、あなたはあなたのままで良いんだよ。
無理に相手に合わせてしたくないことをしなくて良いの。そんなことをしたら、自分の心がすり減るだけ。

相手の愛し方と自分の愛し方が違うと、時には衝突したり、一緒にいることが難しくなるかもしれない。それで悲しい思いをすることだってあるだろう。
だけれど、そんな自分の愛が伝わる人がきっといるから、どうか自分を否定したり人生を悲観したりしないでほしい。

私はアセクシャルだし性嫌悪だけれど、それでもしあわせに生きている。好きな人と触れ合うことだけが愛ではないと知っているから。
だから、アセクシャルや性嫌悪のひとも、そうでないひとも、自分の個性を肯定して生きていこうね。