私は小学校6年生のころから生粋の不登校児で、中学校もまるまるお休み。しかし幸いにも、きちんと勉強すれば結果が出るタイプだったらしく、中三の時に九九から独学で勉強をやり直して偏差値50くらいの高校に入学した。
私の目標は高かった。全国的にも名門と言われる地元のA国立大学に入学する!それが私の立てた目標。そして学校は勉強をするために行くところ。友達なんていらない!それが私のモットーだった。
私の高校から現役で入学したら約40年ぶりらしい。周りにA国立大を目指している人なんて誰もいなかった。
そんなこんなで部活動にも入らず、真面目に毎日机に向かった。しかし、3年以上学校にまともに通っておらず塾にも行ったことがない。最初は無謀な挑戦だと周りは思っていたに違いない。
しかし、私はそんな逆境を乗り越え3年後の春、A国立大の合格発表掲示板の前で歓喜の涙を流したのである。それが私の自慢なのだ。

自慢のようなストーリーを書きたいけれど、現実はそうではない

……と書きたい気持ちは山々なのだが、現実はそうではなかった。一つ前の一段落を訂正すると以下のようになる。

私は一人黙々と勉強を続けた。
「学校は勉強をするために行くところであって友達など必要なし」のモットーに従い、クラスメイトから挨拶されても無視。学校では一日中、先生に当てられた時以外には、一言も話さないのは当たり前。このようにわき目も振らず勉強した結果、大手予備校の模試ではA国立大学〇学部、A判定(よほど本番失敗しない限りは合格の判定)をゲットするようになった。

そしてこのころから、普段全く対策の勉強をしていない現代文の成績が、私の住む都道府県の中で6位や8位などと、とんでもなく良かった。なぜか全く勉強をしていないのに全ての教科の中で一番成績が良いのが現代文だった。今でもなぜなのか不思議であるが。

周りも皆、段々と受験モードで空気の色が変わる高校3年生。私は相変わらずだった。この頃には私に挨拶してくるクラスメイトすらいなくなっていた。そして、私は周囲が徐々に変化していくのを、段々と感じ取り始めた。
私の成績はテストの度にダントツの学年トップだった。そして、クラスメイトを完全に無視しほぼ何も喋らない人。そんなちょっとだけ良い意味でも、断然悪い意味でも目立っていた私を、まだまだ誰もが未熟である多感な高校生たちが放っておくはずがない。
私の勉強を邪魔する子が現れ、私の身に起こった不幸をものすごく喜ぶ子が現れた。私はいつしか、学校に行くことが苦しくなっていた。そして、一番大切な高校3年生の受験間際、私はまた不登校になった。

良い成績を収めた私ではなく、挫折に腐らなかった今の私を自慢したい

結果的に、私はA国立大学に合格できなかった。違う国立大に合格したが通う気がせずに辞退。数年経って私立大に進学した。高校時代の成績では見向きもしていなかった大学だ。
挫折。でもここに自慢したい私がいる。
それは、高校時代の現代文でとても良い成績を収めていた私ではない。それは、挫折に腐らなかった今の私、だ。

現代文だけでは難しい国立大学に合格できないように、人生という難問を解いていくには難しい国立大学に合格できる学力だけでは足りない。現代文は100点でなくていい。70点でいいのだ。その他の教科もすべてそれくらいの点数なら、合格出来る可能性は十分にある。
私はそのことに人よりも少し遅れて気が付いただけだった。
挫折で入った私立大では、週6日も練習のある体育会系の部活に所属し、他大学にもたくさん友人を作り、その日々はいまでも時折思い出されるかけがえのない青春である。

いまの趣味は文章を書くこと。なぜか得意だった現代文のおかげか、褒めてもらえることも多い。
最後に、らしくない謙遜なんかせずに、ちゃっかりここで自慢してしまおう。
「高校の時、〇〇県で現代文の偏差値が上から6番目でした!」