父に実は伝えたいことなんて、一緒に生活している分、山ほどあるけど、今日は父に出来て私に出来ないことについて振り返ってみたいと思う。

神社からの帰り道、助手席でぐっすり眠る父を見て誇らしく思った

先週の日曜日、父と母と2時間ほどかけて神社に向かった。
小さい頃から何度も訪れていた特別な場所。父と私は特にそこで食べる海鮮が大好きで、この日のために社会人になったばかりの1ヶ月間、仕事を頑張れたと言っても良いくらい。

いつものようにお参りをして、海鮮を美味しく食べ、帰りの時間になると少し眠くなる。案内役のはずなのに、助手席でぐっすり眠る父を横目に、手に汗を握りながら初心者マークをつけた車で高速道路を走った。

当たり前のように、父のよく聞いていたサザンオールスターズやウルフルズを流して、口ずさみながら運転する。ドライブには、『父のベスト曲』がないと気分が上がらない。
今まで20年間、行きも帰りも車の中でぐっすりという贅沢をしていた自分を少し羨ましくも思いながら、父が眠ってくれることを誇らしく思った。

父は、私が幼い頃出張がとても多くて、長いときは1ヶ月間も家を開けることがあった。それでも決まって、誕生日とクリスマス、運動会などのイベントの日は必ず帰ってきてくれた。そして、この日私が走った高速道路は、父がクリスマス当日になんとか夜には間に合うようにと車を走らせた高速道路だった。

「俺ができてお前ができないことは、もう車の運転しかない」と父が呟いた

父が出張から帰ってきた日は、家に着くと欠かさず私たちにちょっかいをかけてくる。
「ドアノブにサンタさんからのプレゼントが掛かってたよ」という一言を添えて。
サンタさんがドアノブって可笑しいでしょ、とも幼いながらに思ってはいたけれど、嬉しくってそんなことどうでもよかった。

私が自動車学校でMT車の運転の仕方を学んでいた時、早く運転ができるようになりたかったものだから、よく父のギアチェンジを観察した。父は少し照れながら「そんなにジロジロ見るなよ」と言いつつ、嬉しく思っていることも私は知っていた。

そんな日が続いた時、父がボソッと「俺が出来てお前が出来ないことは、もう車の運転くらいだな」と言ったことがずっと胸に引っかかっていた。そんな事言ってしまったら、車の運転ができるようになった今、父が出来ることは私も出来ると言うことになってしまう。

私は、当たり前のように中学生の頃からご飯や洗濯などの家事もしていたし、お金の管理もしている。海外で一人暮らしをした経験もある。そして、今はもう社会人として働き始めている。
昔から自立心が強かったから、自分でなんでもやりたがった。今の自分はその結果だと思う。

私と同じ立場で色々なことを楽しみ、考えてくれた、尊敬できる父

それに比べ父は、電気をつけたまま毎日眠りにつくし、お皿の洗い残しも多いし、なんでも検索もせずに教えてと私に丸投げしてくるし、生活の中で私が父に『やってあげる』ことが増えている。

それでも、父が今までくれた形のないギフト達は、忙しい毎日の中で忘れてしまいがちだけれど、ふとした時に蘇ってくる。今の私は、父が私の父として居てくれた結果だ。仕事から帰ってきてすぐ子供と一緒に遊んでなんて、私には到底出来ない。

父は、『父として』というより『同じ立場』で色々なことを楽しみ、考えてくれた。子供が居ない点も含めると、父と同じステージに立つことすら出来てない。父親というのは不思議なもので、子供が成長する分だけ疎遠になっていく。

だから、感謝を伝えることも恥ずかしくなってきたし、相談をすることも減った。それでも、私は父を尊敬し続けていることは変わらない。こんなこと、絶対に伝えないけど。

思いのほか、少し感動系の文章になってしまった。最後に暴露をしておこう。
野菜室に隠してあった、父の26個入りのチョコをこっそり食べたのは私です。
どうか、バレませんように。