25歳の夏、わたしは北海道で一人暮らしに挑戦していた。人生の大半を南国で過ごした人間にとって、北海道は手の届くユートピアだ。
勝手に避暑地のようなつもりで訪れたけれど、7月の北海道は想像よりも暑かった。そして、見知らぬ土地での一人暮らしは小さな挑戦と失敗の繰り返しだった。

北海道東川町で行われる高校生たちの大きな挑戦。写真甲子園の存在

当時住んでいた部屋は職場には近かったけれど、かなり手狭で備え付けの洗濯機は二槽式だった。もちろん二槽式洗濯機を目にしたことは何度もあったけれど、実際に使うのは初めてで最初は苦戦した。

週末はレンタカーを借りて色々な場所に出かけた。今思えばレンタカーを借りるのも初めての体験だった。運転が苦手なわたしには、趣味の欄にドライブと書く人の気持ちが分からなかった。生活手段として車を運転してきただけで、楽しいなんて感じたことは1mmもなかった。

でも、ラジオを聴きながら北海道の広い道路を運転したことで、ドライブを楽しいと思えた。「趣味:ドライブ」と書く人の気持ちに5mmだけ近づけた。

生活感に溢れた非日常を過ごしていたわたしは、大きな挑戦をする高校生たちを見かけた。それは北海道の東川町で開催される写真甲子園だった。

写真甲子園は、正式には全国高等学校写真選手権大会と言うそうだ。全国から予選を勝ち抜いた高校生が東川町に集まる。3人1組の高校生が制限時間内で写真を撮り、その中から選んだ8枚が審査される。

わたしは一眼レフカメラを持ってはいるけれど、自信を持って人に教えられるのは電源ボタンとシャッターボタンくらいだ。一眼レフはわたしにとってはただのファッションだった。いつしか「重くて荷物になる」という理由でファッションですらなくなった。せっかく北海道で暮らすというのに、一眼レフは実家に留守番していた。

運動部のきらきらした上澄みが羨ましかった、高校時代を思い返す

自分の高校時代を思い返しながら大会を見ていた。
高校時代のわたしは茶道部に所属していた。順位を競う機会はなく、ごくまれに余った和菓子を巡って熾烈なじゃんけん大会が繰り広げられるくらいのものだった。

たいてい夏の放課後はよくクーラーの効いた教室にいた。「重くて荷物になる」という理由で教科書を自宅に持って帰りたくなかったので、できる限り宿題を終わらせたかった。

集中力が途切れると、グラウンドから運動部の掛け声が耳に入ってきた。窓越しに小さく見える彼らは汗だくで時には泥まみれになっていた。
運動が苦手なわたしは運動部に入る気なんて1mmもなかった。汗だくにも泥まみれにもなりたくないくせに、きらきらした上澄みだけを見ては羨ましく思っていた。

限られた一瞬を写真で撮るように、私も「日常」を切り取っていきたい

写真甲子園は、スポーツ観戦のような分かりやすい盛り上がりポイントには欠けるのかもしれない。けれど、静かな戦いはわたしをわくわくさせてくれた。限られた時間で一瞬を切り取ることに賭けている姿はとてもきらきらしていた。

もちろんわたしには写真部の高校生のように上手な写真は撮れない。だけど、当時のわたしもiPhoneのカメラで生活感に溢れた非日常を切り取っていた。真空保存された思い出は今もわたしを勇気づけてくれる。

写真は一瞬を切り取る一つの手段に過ぎない。走り書きのメモだって夏の車内で流れていた曲だって、一瞬を切り取っているのだ。花の香りが遠い記憶を鮮やかに呼び起こすように、あの曲はわたしを夏の北海道に連れて行ってくれる。

今のわたしが暮らす部屋は、25歳のわたしが夏を過ごした部屋より断然広い。けれど、ごちゃごちゃと物で埋め尽くされている。でも、生活感に溢れ過ぎた日常もいつか思い出になる。

明日からもいろいろな手段を使って一瞬を切り取りたい、未来のわたしがこの部屋に帰って来られるように。