どこにでもあって、どこまでも続きそうな道路の白線。
道に沿って曲がっていたり、ところどころかすれた部分があったりと、平凡で不安定なあの白線。
その真上を歩くように生きてきた、私の人生24年。

彼らだけがもつことを許されたそのにおいが、胸をあたため続けている

四捨五入の魔法もそろそろ効果薄なこの歳で、今尚とある3人の男のにおいが、私の胸の右上あたりをあたため続けてくれている。
あれは一体なんなのだろう。
考えても考えても、そこに答えは出てこない。
息を吸い込んだまま目を閉じて、そのにおいに身も心もあずけてしまいたくなるような、ふしぎな感覚。
時間の概念も忘れてしまうほど、甘美で、切なくて、理由もなく愛おしく思えてしまえるあのにおい。
柔軟剤でもなければ、体臭でもない。
香水でもなければ、アロマともちがう。
歳も、背格好も、着ている服も靴下も、てんでばらばらな男たち。
においだってそれぞれ0.1グラムくらいはちがってる。
ただ、直感的に分かるのだ。
ああ、このにおいだ――と。
3人の男たちに恋愛感情はさらさら抱いてはいなかった。
そしてそれは、向こうも同じことだったろう。
だけどそのにおいに、彼らだけがもつことを許されたそのにおいに、今も私は恋をしている。

儚い恋のにおいも、今はもう思い出すことができなくなってしまった

細くやわらかな雨が土と草を濡らし、さあさあ、ぱらぱらとたてる音に耳を澄ますような。
ちいさな子どものように、蛍をそおっと両手ですくい上げ、そのひかりのか弱さに思わず泣いてしまいたくなるような。
触れることも、見ることも、閉じ込めることもできない。
指の間をすり抜けては、気がついた次の瞬間にはもういない。
そんな儚い恋なのだ。
例えるなら、と私は考える。
大好きでたまらなかった恋人と別れ、何度も瞳でなぞってきたはずの横顔の曲線や――特に鼻の軽やかなカーブが好きだった――、何度も名前を囁いてくれるたび、耳がくすぐったくなるようなやさしい声――少し鼻にかかったあの声だ――が、少しずつ、それでも確実に私から離れていくのと同じように、その3人の男のにおいも、今ではもう思い出すことができなくなってしまっている。

だけどこれは悲しむこととはまたちがう。
きっと、抜け殻と同じなのだ。

抜け殻を抱くように、今も白線の上を歩いている

最初で最後のまぶしい一週間を迎えるために、セミが残したあの抜け殻。
ギザギザの細かな小さい手足と、かつてそこにいたことを証明する、過ぎるほどに立体的な姿かたちに、私は毎度おどろかずにはいられない。
もう思い出すことのできないあたたかなそのにおいを、壊すことのないように、慎重に、慎重に、セミの抜け殻をそっと抱くようにして今も白線の上を歩いている。

あ、と今になってようやく気づく。
私は3人の男のにおいに恋をしていたのではない。
もう思い出すことのできない、抜け殻になってしまったにおいにずっと、恋をしていたのだ。
いつの日かこの白線が途切れてしまったとき、奇跡的にもまた3人の男のにおいと巡り合うことができたのなら、きっと私は静かに笑うことだろう。
話しかけることもなく、そばに近寄ることもなく、ふうわり香るそのにおいに、胸の右上あたりがあたたかくなるのを感じて、静かに、静かに笑うのだ。