自慢したい私は、高校生の時に一度消えた。
私は幼い頃からよく「変わっている」と、家族をはじめ周りの人に言われることが多かった。

私はそれが嬉しかった。当時「他の人と違う」感じがして、私は他の人とは違うものを持っている感じがして、私しか持っていない個性のようで誇らしかった。
でも、「変わっている」という個性は、成長し社会へ近づくにつれ、自分の短所や恥ずべきコンプレックスに姿を変えていった。

楽しい学校生活が一変。クラスメイトが言った「あなた嫌われてるよ」

高校は知り合いが誰もいない学校へ進学した。友達も数人でき、楽しい生活をしていた。クラスメイトのあの言葉を聞くまでは。
「ねえ、あなたクラスの大半に嫌われてるよ」
ショックだった。頭からサアッと血の気が引いて、自分の立っているところだけが底抜けて落ちていくような感覚に襲われた。

「そっか!まあ私変わってるって言われるし、仕方ないよね~」
なんとか笑ってごまかした。クラスメイトは何も言わなかった。
この沈黙が私には1番痛かった。否定してほしかった。そんなことないよって。でも否定はなかった。
つまり私が変わってるから嫌われたと、当時は本気で思ってしまった。高校1年の秋のことだった。

2年に進級しクラス替えがあれば、まだ変われるかもしれないと思った。でもそれは甘かった。
今度はクラスで目立つ男子に目をつけられてしまった。私に、嫌われてると言ってきたクラスメイトともまた同じクラスになり、始業式の夜メールで告げてきた。
「ねえ、また次のクラスでも嫌われちゃってるみたいだよ」

またしてもショックだった。というか衝撃だった。
なぜクラス替えして初日に嫌われるのか。ほとんど誰とも話してないのに。そのクラスメイトは私がクラスの目立つ男子に悪口を言われてるのを聞いたみたいだった。
「どうして、私は嫌われたの?何かしたのかな?」
「顔が理由だって」

自分で「嫌われ者」のレッテル。変化が出たのは夫に出会ってからだ

……顔???顔が理由って、つまり私がブスだから嫌われ、悪口を言われたの????
何かしたのならまだ改善の余地があった。でも顔が理由ならどうしようもない。
あんまりだ。思春期ど真ん中の私の心をえぐるには十分すぎる理由だった。
私は、顔も性格もなにも良いところがない嫌われ者。この事実が後に私の心をえぐり続けることになる。

そこからは最悪だった。私の悪口を言ってたという男子は話のオチに突然私に話しかけて、周りの男子は「おいやめろよー」ってケラケラ笑い出す。この絡まれ方を卒業するまで続けられた。

自分には嫌われ者というレッテルをつけていた自分に変化が出始めたのは、社会人になり今の夫に出会ってからだ。
夫には驚くことばかりだった。私がどんなに変わり者全開で接しても、全く引く素振りがない。なんなら告白までしてきた。それにいつも私のことを「可愛い」と言ってくれる。ブスなのに。

悩み落ち込んだ時間があったからこそ「これが私だ」と思えるように

ある日、高校の頃の出来事を少しだけ話した。そしたら夫がこう話してくれた。
「周りがどう言うかは知らないけど、俺はあなたが可愛いと思うし、面白くて一緒にいると楽しくて好きだよ」
高校の頃からついた傷の痛さが、ゆっくりと暖かくなっていく感じがした。単純かもしれないけど、自分で立ち直ったとは言えないかもしれないけど、大切な人から自分を肯定されて、ようやくもう一度自分を好きになれる感じがした。

こうやって自分を受け入れ思い返すと、小さい頃はただ自分の良いところだけをみて、成長するにつれて、自分の良いとこは本当に良いところとは限らないと悩み、大人になってようやく良いところも悪いところも全て自分なんだとうけいれることができた。それは良かったと思う。

あと、悪口は必要以上に聞く必要もなかった。悪口を言う人も、悪口言ってたよと告げ口する人も、私の人生には特に必要ないから、次から早々に距離を取ろうと思う。
悩み落ち込んだ時間は戻らない。どうせなら時間戻って悩みない高校生活を送りたいと思う時がある。でも悩み落ち込んだ時間があったからこそ、「これが私だ」という確固たる芯を持つことができた。
私は私。今日も私らしく生きていこうと思う。