忘れられない匂いといえば、愛犬が眠っているときの匂いを思い出す。
犬を飼っている人ならわかるはず。動物の匂いだけど、獣臭さとも違う心地の良い香ばしい匂い。
もう二度とかぐことはできないけど――。
家庭内に不安があっても、りくの温かい匂いをかぐと安心できた
「りく」と出会ったのは、小学校低学年のころ、家族で行った近所のペットショップ。その日に入荷されたばかりの、かわいいかわいいミニチュアダックスフントのオス。
一目見た瞬間に、もう離すことはできなかった。
遊び盛りの小学生だった私は、りくをいろいろなところに連れ回した。友だちや塾の先生に、りくのことを何回も自慢した。
ちょうどそのころ、家庭内では親の喧嘩が絶えなかった。2階で寝ていた私は、夜中に怒鳴り声が聞こえて目を覚ますこともあったし、トイレに行きたくても喧嘩の間を通るのが怖くて行けず、ついには膀胱炎にもなってしまった。
そんなとき、私の支えになってくれたのはりくだった。
りくが長い胴体を丸めて寝ているとき、私はそっと顔を近づける。香ばしい匂いをかぐと、生きている動物の温かさを感じて安心できた。
結局、両親は離婚した。
私は母と一緒に暮らすことになったが、「絶対にりくと一緒じゃなきゃイヤだ!」と譲らず、母・私・りくの3人暮らしが始まった。
散歩も、母と喧嘩した日も、悩んでいる日も、りくはいつも私のそばに
中学生になって散歩で行ける範囲が広がってからは、どんどん2人で冒険を進めた。
怪しい小道、緑が生い茂る坂道、町中に突如現れる分かれ道……。夏には散歩中にゲリラ豪雨に降られて、お互い水浸しになって帰ったこともあった。
どんな散歩も、今では良い思い出だ。
私と母の間を取り持ってくれたのも、りくだった。
母と娘という関係性はほんとうに難しい。言わなくても良いことまでお互いに言ってしまうし、その裏に隠された真意も敏感に読み取ってしまう。
口喧嘩して泣いている日、そっと寄り添ってくれているりくに頬を寄せる。またあったかい匂いで安心できるのだった。
月日は立ち、私は大学生になった。サークル活動などで家を空ける時間も増えた。
そして、りくはいつの間にかおじいちゃんになってきていた。
もう前のように冒険はできない。でも、私がサークルの人間関係で悩んでいるとき、心の整理をしながら歩く散歩に、彼は静かに黙々と付き合ってくれた。
りくは変わらず、丸くなって眠る。私は、そこにそっと顔を寄せる。
地毛が随分と白くなりハッとした。りくも、もうおじいちゃんなんだ
2020年の春頃、りくをトリミングに連れていったとき、地毛が随分と白くなっていてハッとした。
「もうおじいちゃんなんだね」
「そのわりにはしっかり歩いてるよね」
そう、母と言葉を交わした。
だんだんとジメジメとしてきた梅雨の時期、ある日突然りくの腰が抜けてしまった。
ぐったりとして元気がない彼を最初に見つけたのは、母。朝イチで獣医さんに連れていった。
トイレで踏ん張った拍子に腰を抜かしたのではないか、というのが診断だった。
とりあえず重症そうではなく安心した。
しばらく無理に歩かせないように、様子を見ることになった。
帰宅後、今朝はぐったりとして食べなかったのに、ご飯をあげたらバクバクと食べた。
なんだ、大したことなさそうだな。このまま何週間かでまた良くなるだろうな。
そのときはそう思っていた。
その楽観視を裏切るように、次の日から日に日にりくは弱っていった。
老人にとって怖いのは骨折だと聞いたことがある。足腰が立たなくなると、一気にボケたり衰弱が進んだりするらしい。
まさにそれが、老犬にも当てはまってしまった。
外した首輪に鼻を近づけると、あの香ばしい匂いが残っている気がした
りくは痛みがあるのか、丸まって寝ることもなくなった。寝ているときに顔を近づけても、あの香ばしい匂いではなく、何となくすえたような匂いがした。
これは、祖父が亡くなったときに漂っていた匂いと良く似ていた。
1ヶ月ほどの療養中、どんどん弱っていくりく。いよいよ下血が出た夜、私はりくに寄り添って床で寝ることにした。
一晩中、りくは優しく私を見つめてくれていたのが、のちのち母が残してくれた写真でわかった。
翌朝、母が抱き上げた瞬間、りくが大きく欠伸のようなものをして、魂が抜けていくのを感じた。彼は、そうして息を引き取った。
私は、りくの首輪をそっと外した。
鼻を近づけると、どうしても晩年のすえた匂いがついているけれど、その奥底にあの香ばしい匂いが残っている気がした。
今でも、あの匂いをふとかぎたくなってしまう。
いつか虹の橋のたもとでりくに出会えたとき、またあの匂いをかげるのかな。
そう思いながら今日も生きていく。