お、今日は天気がいいな。仕事までまだ時間がある。
よし、山でも登るか。
彼と会うのを楽しみに生きている自分が嫌で、離れる決意をした
去年、山が好きな人と一緒にいた。毎週のようにハイキングに行った。初めの頃はもう疲れた、と座り込んだりしていたが、知らず知らずのうちに同じペースで登れるようになった。
当時私は仕事のストレスで結構やられていたので、この人についていけば大丈夫、という人がいて、ただひたすら足を左右に出し続けていけば山頂につける、というのは救いだったんだと思う。
山では何も考えなくて良かった。顎を上げて歩き続けるだけでいい。
私の転職が決まり、1ヶ月後にはお別れだよ、と話をした日も山に行った。いなくなるのは寂しいけど、君が幸せなのが一番だよ、と言われた。
本当は、彼と会うのを楽しみに日々生きている自分が嫌だった。彼のことが好きだった。それでも、自分のために、私はここを離れたかった。
秋の終わり頃、新しい町に来た。山に囲まれた町。一緒に山に行く人が欲しいと思って、マッチングアプリでハイキングと書いている人はなんとなく右にスワイプした。そのうちの一人と会うことになった。
近くの山を登った。何の話をしたかもう覚えていない。登ったことより、話し続けることに疲れた。頂上でなんとなく彼の横を離れて、それぞれ景色を見たときほっとした。
山を下って、夕飯一緒に食べる?と聞いたら、「君、僕といて楽しい?無理してない?気を使わなくていいよ、疲れてそうだし、帰って休んだら?」と言われた。
気を使わせてしまったのはこっちだ。ごめんね、とお別れした。
アプリで出会った人とのハイキングで疲れた翌日、私はひとりで山へ
そしてすぐに冬が来た。雪が降ったのでしばらく山には行かなかった。
春。またなんとなくハイキングやら登山とプロフィールに書いている人を右にスワイプする。山が好きな人とマッチした。ハイキングしましょうと約束し、会うことにした。
会ってすぐ、なんとなく、この人とは合わないなと感じた。でもせっかくここまで来たし、と桜がきれいな公園に行った。おざなりに彼の話に相槌を打ちながら坂を登った。
一面桜の木を見下ろせる丘の上で、私はなんでこの人とここにいるんだろう、とぼんやりした。この人と見なくてもいい景色だ。一人か、友だちときたい、と思った。なんだかどっと疲れた。
その翌日。私にしてはとても珍しく朝早く起きた。出勤まで余裕がある。思い立って身支度をして、原付に乗って、前から気になっていた最寄りの山へ向かった。
坂道を原付でのぼっていく。どこもかしこも桜が咲いていて、空が青くて、あまりに爽快で大きい声が出た。
一人でハイキングするのは初めてだった。山道に入る。肌寒さが少し気持ちいいくらい。空気がおいしい。音楽を聴こうと思っていたけど、風の音とか木の葉のざわめきが心地よくてイヤホンをつけるのをやめた。
足元を見たらすみれが咲いていた。足を前後にひたすら出し続ける。岩場は急で、ちょっと息が切れたけど登りきれた。
山頂でひとり、あまりに気分が良くて笑ってしまった。下山したら風がちょっと強くなってきて、全身で桜吹雪を浴びた。しばらくそこに突っ立っていた。
私は自分の行きたい所に、自分で自分を連れていけるようになった
それからまた半年。季節が巡って春から夏を経て秋がまたやってきた。まあいろんなことがあった。
久々に朝早く起きた。よし、山でも登るか。
一人でどんどん山を登る。「疲れた?大丈夫?」「ちょっと休もうか」と声をかけてくれる人も、足を滑らせたとき手を取ってくれる人もいないから、自分で自分の世話をしてやる。汗を拭って、立ち止まって水を飲んで。
そうして辿り着く山頂からの景色は、いつも笑っちゃうくらい清々しい。
山に来る途中に買ったお団子を食べて、木陰のベンチに横たわる。持ってきた詩集をパラパラめくる。飽きたら目を閉じて風の音や葉擦れの音を聞く。
一人って自由だ。好きなだけ自分の時間を使える。気が済んだら山を降りて家に帰ればいい。
山に行きたいなら、連れて行ってくれる人を探すのではなくて、自分で行けばいい。こんな簡単なことに気がつくまで、随分と時間がかかってしまった。
一人で出来ることが増えていくことは寂しいことなのだろうか。そうだとしても、私は今の自分が一番好き。
私は、自分の行きたい所に、自分で自分を連れていける。