彼がいないとダメだった。
私には、付き合ってた人がいた。何度も復縁を重ねた。私の中心は彼。彼が私の全てを掴んで離さなかった。
彼と色んな所へ行った。ディズニーランドにも行った、シーにも行った。大きなウォータースライダーがあるプールにも行った。渋谷から東京を一望できる絶景スポットにも行った。サイクリングもした。海にも行った。鎌倉にも行った。ショッピングもした。たくさんお泊まりもした。2連泊とかもした。会える日はほとんど会っていた。
「別れるなら死ぬ」状態の大恋愛は、割と呆気なく終わりを迎えた
多くの時間を、彼と過ごした。彼といるだけで私は幸せだったし、彼が忙しくて会えない時は何度も1人で泣いた。喧嘩をすれば互いに言い合って、私は泣いて、仲直りして、また泣いた。
私が心置きなく泣けるのは彼が涙を拭ってくれるから。別れが来るのが怖くて泣いて、その涙も彼が拭ってくれた。
「別れるなら死ぬ」
そういう言葉をSNSでよく耳にすることがある。今でこそあり得ないが、当時の私は、まさに「別れるなら死ぬ」状態だった。相当、重かったと思う。
彼は優しかったし、私想いだったけど、感情的なところがあって、嫌なことがあるとすぐに不機嫌になって、LINEを何十件も、不在着信を何件も残し、私に当たった。その度に私は泣いて、その度に許した。
理由は、別れたくないから。そんな心とは裏腹に、許したくなくても許すことは、彼と一緒にいることの違和感を募らせた。その違和感を心の中で留めることしかできないのは、今まで、「確かに幸せな時間が存在したこと」そして、「私の選択が、私自身に否定されることが嫌だったこと」である。
10代の私たち、一緒に迎える3回目の夏の終わり。若すぎる2人の大恋愛は、割と呆気なく終わりを迎えた。お別れをしたその日、私は大泣きした。
私は私が思っていたよりも強い人間で、楽しく生きられる人間だった
別れて1年が経つ。
「時間が解決する」というものは、核心を突く意見だと思う。今の私も得心している。
1年前の私を懐古する。あの大泣きした日から、何度泣いただろうか。
あれから、不安を身に纏って泣くことはなかった。言いたいことを言えないままうずくまって泣く夜も来なかった。腫れた目で迎える朝もなかった。
私は私が思っていたよりひとりで生きられて、思っていたよりも自己肯定感が高くて、思っていたよりも強い人間だった。
そして、思っていたより、もっと、ずっと楽しく生きられる人間だった。
彼に縛られていたのかもしれない。彼がいつも涙を拭ってくれるから、「彼がいないとダメだ」と錯覚していただけで、私の頬に伝う涙の生産者も彼だったことに、別れてから気付いた。私が涙を流すべき相手は、もう彼ではない。
あれだけ好きだった人との別れの決断は、なかなかのファインプレー
私の毎日は、大好きな家族や友達が周りにいてくれて、趣味に没頭して、大学に通って、という日々である。それなりに忙しくやっているし、充実している。
彼と一緒にいた時よりずっと、楽しくて、幸せだということ。
そしてこれからの私は、きっと今より幸せになるということ。
暗澹を感じさせるあの夏の夜、あれだけ好きだった人とお別れをするという選択をできたこと。
これはなかなかのファインプレーであり、自慢できる大きな決断だった。