いざという時の女の勘や時たま能力を発揮する自分の第六感というのは、どうしてなのか、よく当たる。
しかも、嫌な時ほど特に。
楽しみだったデートで事件が重なり、お互い怒りをぶつけあう喧嘩に
コスモスが綺麗に咲くこの季節になると、どうしても頭をよぎってしまう。
3年前付き合っていた同じ会社の彼とは、季節毎に花を見に行くというのが恒例行事で、その日も1日休みを合わせ、コスモスを見に行くことになっていた。
当時お互いに仕事が忙しく、久しぶりの休み、そして久しぶりのデートということで朝から私はウキウキだった。
一緒に住む家からバスを乗り継いで2時間ほどの場所に、有名ではないけれど、綺麗な花畑スポットがあった。
人がいない間に行こうと、朝早くから家を出たものの、バスの乗り継ぎの合間にコンビニに寄ったせいで1時間待ちぼうけを食らったり、ようやく乗ったバスもまさかの違う方面行きのバス。
慌てて降りたバス停でも再び1時間待ちぼうけ。
お互いがお互いにイライラし、バスの停留所で容赦なく怒りをぶつけた。
同じ話を繰り返していると二人とも分かりながら、お互いを傷つけあった。
「私たちは終わりだ」。何故か分からないけれど、心底そう思った
30分ほど言い合いをした後、気は済んだけれど怒りがおさまらない私たちは無言でバスが来るのを待った。
「あぁ、もうダメだ。今日で私たちは終わりだ」
背もたれのない長椅子に2人分ほどの距離を空けて座りながら、心の底からそう思った。
それまでも喧嘩をすることなんて何度かあったし、その時もイライラしていたけれど、彼の事は嫌いになったなんてことはなかった。
それでも、何故か分からないけれど、もう私たちは終わりなのだという未来が見えた。
バスが来た頃には、お互いのイライラも少し収まり、戦う元気を失った私はコスモス畑を諦めた。
彼はバスの中で帰り道に寄れるコスモス畑を調べてくれて、いつもと同じように花に囲まれて写真を撮って、またいつもと同じような生活に戻った。
一緒にご飯を食べて、一緒に眠って。
それから2ヶ月後、私たちは別々の道を歩むことになった。
理由は彼の浮気だ。
相手を聞いた時、
「あぁ、やっぱり」
そう思ってしまった。
悲しい喧嘩の結末が、私の明るい人生へのジャンプ台でありますように
大喧嘩したあの日、違うコスモス畑で偶然職場の先輩と先輩の彼氏に遭遇した。
本当に偶然で、せっかくだからとお互いのカップル写真を取り合いっこしたりして、律儀な彼はきっと先輩にお礼のメッセージを送り、私に怒り心頭の彼はその流れで先輩に相談した。そこから2人は距離を縮め……。
綺麗なほどにピッタリとハマったパズルに絶望しながら、あの日のもう終わりだという直感はやはり間違いではなかったのだと気づく。
繰り返すが、女の勘はよく当たる。
だからこそ、もっと上手に使うべきだ。
自分の仕事にピンチが訪れた時、新しい誰かと会った時、自分の中に何かフッと感じるものがあれば、その勘を信じて物事が良くなるように動くよう意識するようになった。
あの日の悲しい喧嘩の結末が、私の明るい人生へのジャンプ台でありますように。
コスモスの季節になれば、あの日のバス停での出来事を思い出し、そうやって自分を奮起させる。