進路にも、夢にも、全てに影響を与えやがったあいつのことを、心の中で捨てるわけにはいかない。

わたしは因縁のある男子が多いように思う。おそらく執着心が強めで、すぐに運命を感じがちで、かと思えばすぐに諦められる適当さをもつ、全てわたしに原因は終着するのだが。

同じ高校に入った、同じ中学出身のあいつ。ただ闘争心を燃やしていた

中学校はわりと地元では有名な進学校だった。エレベーターに素直に乗っていればいいものを、そんな簡単にはいかないわたしの青春である。地元との強い絆を感じていたわたしは、中学三年間、温室育ちの同級生を心からばかにしていた。そんななかで何も考えず、行動にうつせず高校生になるのなんて、まっぴらだった。

楽しむだけ楽しんで、でてやろう。進学校のなかで、特別高い内申点もなかったが、地元の公立校、それも最難関とよばれる高校に挑戦させてもらったのだ。

当然、賛成する人など誰もいない。あまりにも無謀。落ちたわたしは、元々の中学に残っていれば入れていたはずの高校より、偏差値のがくんと下がった私立の高校に入った(唯一の自分の見栄のためにいうが、特待生で入ったため親には金銭面では迷惑をかけなかった)。

そこで出会ったのが、なんと、同じ中学出身のあいつだ。
珍しい選択をとるやつがいるものだ、そして同じ高校になってしまうとは。

なんらかの縁を感じつつ、特に恋愛対象にはならず。ただ闘争心を燃やしていた。
高校生になったわたしは相変わらず、誰にも認められず、自分でも自分を、認めず。かといってものすごく努力するわけでもない、典型的なモラトリアムに悩む高校生を演じていた。

ちなみにはいった部活は演劇部。モラトリアムを深めていった。

あいつにほめられたわたしは「なんでもがんばれるぞ!」と思った

同じ高校にはいったあいつは、どうだったか。へらへらしていた。
顔はイケメンだったから、何人かの女子には黄色い声をあげられていた。目の真ん中にはおかず、目の端にとどめおいて、わたしはひたすら自分の闇に向き合うだけで、好きにはならなかった。

ただひとつ、あの頃から特別だったかもという出来事があった。あいつが家でわたしのことをほめていたことを聞いて、わたしの心は「ここから元気百万倍、なんでもがんばれるぞ!」と思ってしまったことだ。

あとは……、朝に爽やかにこちらから挨拶できただけで、その日1日スキップをしなくちゃいけないくらい舞い上がってしまったりしたことくらいだ。
それ以外は、かす、しねと思っていた。

あいつは、自分の人生に迷いがないように見えた。
音楽家の息子だったが、なぜかテレビをきっかけに医師に憧れ、ひたすら勉強を頑張っていた。

わたしの父は医師だ。
自分に流れる血のどこかに憧れを持ってもらっていることが少し嬉しいという、ねじまがった感情。

あいつも私も医師になった。この仕事がすきなのはあいつのおかげ

あいつは三年間ひたすら、不本意な高校にはいったことを意に介さず、後悔なく、学生生活をやりきり、医学部に入った。

もはや何の感情もわからなかったが、わたしにはどこかの誰かさんの真似をして医学部に入る以外の選択肢が当時なかった。人の役に立ちたいなんて、きれいごとをつぶやいて、わたしも翌年医学部へ。

受かりやすさ、家からの近さなどもあったが、あいつと同じ大学になってしまったのはわたしの深層心理のせいもあるだろう。
ねちゃねちゃとつきまとうわたしの感情にふりまわされて、わたしにも、あいつにもごめん。

就職はわたしは北海道、あいつは一年早く本州で医師をしている。無理矢理離れた。

たぶん、今も好きだ。
この仕事が好きなのはあいつのおかげだ。ありがとう。頑張る。