「あなたの特技は何ですか?」
「……イラストを描くことです」
「あなたが大学時代に頑張ったことは?」
「えっと、……ゼミの幹事をしていました。……ゼミは労働とジェンダーを専門とするゼミで……」
「あなたのアピールポイントは?」
「……私のアピールポイント?ですか?……考えることが好きです。それから……」
面接練習を何回も繰り返しているが、何度やっても慣れない。
いわゆる「自己アピール」というやつだ。
私は現在、大学3年生。来年は4年生になるため、就職活動が本格化する。
自己アピールとは。スーパーネガティブな私には皆目見当もつかない
「考えることが好き。だからもっと勉強したい」
……という願望を抱いていたが、大学院行くためのお金もなければ、大学で借りた奨学金も返す当てもないので、「就職」という道に路線を変更した。
……したのはいいものの、今まで勉強しかしてこなかった私には、特別な「アピールポイント」というものが存在せず、企業に自分を売り込むことができない状況だ。
アピールポイントって一体何だろう。
スーパーネガティブな私には皆目見当がつかない。
ただ、「このままじゃいけない。変わらないと」……と人一倍焦ってる自分自身しかいない。
大好きな本を読む時間をインターンシップの検索時間に費やし、絵を描く時間すらも捨て去った。
今まさに、エッセイを書いている、この時だって「こんなことしたって、意味なんてないよ」と心の中で、もう一人の私がささやく。
五月蠅い。黙っててよ。
いつからこんな人間になってしまったのだろうか。
楽しかった日常を思い出せないまま、今という時間を生きている。
私は一体、何に追われているのだろう。
時間?それとも見えない”何か”に追われているのだろうか。
「物事を真剣に考えるときこそ、“私”が“私”でいられる唯一の時間だった」のに。
私の心の安寧はどこにあるのだろう。
セミナーの成功談でも登場する自己アピールくんに、頭が痛くなる
「就活が不安な人へ!特別オンラインセミナー」みたいな企画があった。
今の私にピッタリの内容だったので、すかさず申し込んだ。
「夏のインターンシップに行かなかった人もまだ間に合います。これから頑張りましょう」
セミナーの第一声がそれだった。
励ましの言葉……のはずなのに、なぜか皮肉っぽく聞こえてしまう。
その後、秋季インターンの説明ややるべきことを言っていた。
が、全く耳に入ってこない。馬耳東風状態だ。
そして、いつの間にか、内定をもらった先輩の話になっていた。
「今日はゲストに来てもらっています。内定5社もらった○○さんです」
チャット欄がざわつく。
そのゲストの方は、何も資格を持っていない。大学の成績も良くなかったらしい。サークルなどの活動にも入ってなかったそうだ。
ただ、“自己アピール”に力をいれていたらしい。
またお前か。自己アピールくん。
何回も出てきて頭がいたくなる。
私のとりえは「考えること」だけ。
考えることが果たして、社会に利益をもたらすのだろうか。
もう、考えることが、私のとりえなのかも分からない。
本当の私はどこに行ってしまったのだろうか。
本当に就職しか道がないのか。私の「考える能力」は役に立たないのか
「父さんと母さんは、大学にいけなかったから、せめてお前にはたくさん、学んで欲しいんだ」
「きっと、大学は楽しいわ。輝ける場所よ」
大学に受かった時に、両親が私に送った言葉だ。この言葉を活力に、今まで学んできた。
父と母は大学進学を希望していたが、環境がそれを許さなかった。
若くして二人は社会に出た。右も左も分からないまま、今までがむしゃらに働いてきたのだ。
「お前には後悔してほしくない。後悔はするな。それが父さんと母さんの願いだ」
法学、文学、社会学、経済学、宗教学……様々なことを学んだ。
ずっと学んでいたい。研究していたい。探索したい。
小さな問題でもいいから、解決して、社会の役に立ちたい。
これが私の描いていた未来だ。
本当に就職しか道がないのか。
私が大学4年間で身に着けた「考える能力」は役に立たないのだろうか。
誰か私を必要としてくれる人はいないのだろうか。
社会が私を求めてくれないだろうか。
これらの問いに答えてくれる人はまだいない。
私は就職することに後悔してはいないか。
本当は社会に叫びたいんじゃないか。
「自己アピール」が何になる。
そんなもので人を推し量ることができるのか。
叫びたいが、今の私にはその勇気がない。
でも、いつか。
いつか、社会に叫んでみたい。
心の内を。
焦って書いて、内容がごちゃごちゃ。
私はちゃんと書けているかしら?
え?言葉遣いが変わってる?
本当はもっと書きたいけれど、時間がないのでこの辺で。
ごめんあそばせ。