私の就職活動は、世間に「人並み」だと認めてもらうためのものだった。
使い古した志望動機、何度も練習した1分間程度の自己PR。どれも自分が人並みの人生を送るためには必要なものであると信じていた。正直、「人並み」が一体何かもわかってはいなかったが、周りの人のように就活をして、社会に出て働くことがそうなのだと考えることが楽だった。
結果的には、無事に終えることができた就活。内定の連絡を受けたときの安堵感は、数ヶ月が経った今も鮮明に覚えている。

夢中を追っていたあの頃。そしてその感覚を失った今

話は変わるが、私はやりたい事とそうでない事の線引きが明確で極端である。
その一方で、理由をつけて自分を納得させることがいつの間にか得意になってしまっていた。

中学生の頃、簡単なデザインや創作活動が好きだった。周囲の人がそれらを褒めてくれることが嬉しかった。なにより、それらに打ち込む時間が純粋に好きだったのだ。
その当時、特に凝っていたのは友人との交換ノートの表紙をデザインすること。一冊を使い切り、ノートが新しくなるたびに持ち帰っては、寝食を忘れて没頭した。
出来上がったノートを見て、友人たちは「やっぱりすごいね」「将来はこういう道に進むべきだよ」と言ってくれるのだ。
中学生同士の些細すぎる会話だが、その時の私に自信をつけてくれるには充分だった。自分は高校卒業後、デザインの専門学校に通うのだと信じて疑わなかった。

しかし、高校生になった私はいつの間にか、自分が特別秀でているわけではないことにも、大袈裟な夢なんてなくとも楽しく生きていけることにも気づいていた。
そして、自分の学力の範囲内で無理なく行ける大学への進学を決め、無難だと感じる学部を選んで受験した。
大学生活は楽しかった。新しい交友関係に、初めての一人暮らし。思い出はたくさんある。けれど、私があの頃のように寝食を忘れて何かに夢中で打ち込むようなことはなかった。

ピュアな自分に気付かされた、もしかしたら私は「人並み」を望んでない?

そして迎えた就活。
私が書くエントリーシートの内容は、ひどく軽薄なものに感じられた。
無理やり捻り出した内容に色をつけて、さも壮大なことであったかのように飾りつけていく。中には確かに貴重で重要なエピソードもあるのだが、熱心に取り組んだかと言われると何となく上手くいっただけだと感じてしまう。
その業界を志した理由も、「人に言う時にそれっぽく聞こえる職業」それだけだった。そこに自分のやりたいことなんてこれっぽっちもなかったのだ。
けれど私はそこでも、本来やりたかったこととの共通点を無理矢理見つけだしては、自分を納得させていた。
「好きなことを仕事にして嫌いになるくらいなら、趣味に留めておくべき」「そもそも好きなことを仕事に、なんて甘い」と自分に言い聞かせ続けるうちに、やがてそれが本心になった。
そうやって「人並み」に固執しながらも、就活を通して時折見かける「好きなことを真っ直ぐに追いかけてきた人」の存在が、どうしようもなく私を虚しくさせた。
結局、内定をもらえた企業への最終的な返事を保留にしたまま、夏は終わってしまった。

そんな私がつい先日実家に帰省していた時に、ふと目に止まったのが中学校の卒業アルバム。そういえば、とクラスページを見てみた。
「将来の夢」の欄には、私の字でハッキリと「グラフィックデザイナー」と書かれていた。

自分に酔いすぎだ、と思われるかもしれないが、私はそれを見て涙を流した。
あぁ、こんなに堂々と自分の夢を語れていたのだと。漠然とした夢を語る人は非現実的で、堅実に生きようとする自分は賢いのだと考えるようになってしまったのはいつからだろう。
上手に立ち回ることの難しさも大切さも、わかってはいるつもりだ。
だけど、それでも。私は、本当は「人並み」になりたかったわけではない。人と足並みは揃っていなくとも、自分の好きなことに夢中でいられる自分になりたかったのだ。

内定先の企業への返事の期限は、残り数週間。
さぁ、どうする私。