二人目の彼氏になった人のにおいが、今でも忘れられない。
大学一年生のころに付き合っていた人だ。彼と別れて数年が経過し、交わした言葉のいくつかは忘れてしまっているのに、どういうわけか、においだけは鮮明に覚えている。

私が初めて「愛した人」は、グレープフルーツの爽やかなにおいがした

彼のにおいが好きだった。炎天下の夏の海辺で、キンキンに冷えたグレープフルーツの果肉をかじるような、爽やかなにおい。色に例えるとスカイブルー。
実際に海辺でグレープフルーツの果肉を食べたことなんてないし、強いて言えば、Gokuriのグレープフルーツ味を飲んだことぐらいだけれど、彼のにおいはそういうイメージを想像させた。香水をつけるような人ではなかったから、おそらくあのにおいは柔軟剤だろう。

彼と別れてから何人かと付き合ったが、彼の存在や思い出は上書き保存されることなく、私の中に残っている。散々な別れ方をして、疎遠になった。でも、時間のおかげで和解して友人関係に戻って、未だに彼の姿を目にしたり、声を聞いたりすると、縫い針で皮膚を何度も軽く刺されているかのような、チクチクとした痛みを覚える。
なぜだろう。「好き」を飛び越えて、初めて「愛した人」だからかもしれない。

彼のにおいと温もりに埋もれ「ずっとこの人の隣にいたい」と願った

いろんなところが似ていた。好きなもの・こと、憧れていて尊敬しているバンド、負けず嫌いで頑固で、すこし見栄っ張りな性格。趣味趣向、性格が瓜二つで、そんな人に出会ったのは初めてだった。
部屋デートで抱きしめあったとき、彼は「幸せだ」と私の耳元で呟いた。彼のにおいと温もりに埋もれながら、「ずっとこの人の隣にいたい、どんなことがあっても大切にしたい」と私は心の底から思い、彼の背中に回した腕に力をこめた。そんなことを思い、願ったのも、初めてだった。

けれど、その思いはアニメの死亡フラグみたいになり、様々な要素の相互作用によって私たちの歯車は徐々にかみ合わなくなっていき、別れを選択した。
別れた原因の一つを作ったのは私。私は子どもだった。忙しくなって心の余裕がなくなり、彼に癒しや救いなんかを求めてしまった。「愛している」と言っておきながら、私は自分のことばかりで、彼の気持ちに目を向けていなかった。会いたいという気持ちを抑え、自分で自分を労わっていれば、もっと長く、彼のそばにいれたのかもしれない。

もし彼と復縁ができたとしても、最も純粋だったあのころには戻れない

最近、ドラックストアの洗剤コーナーで思い出のにおいと似たそれに遭遇した。そのにおいの正体は花王のフレッシュシトラスという柔軟剤だった。嗅いだ瞬間、彼の面影が脳裏をよぎり、胸の奥が傷んであのころにタイムスリップできたら、と思ったが、復縁の二文字は頭に浮かばなかった。
もし彼と復縁ができたとしても、元には戻れない。私たちはお互いを知りすぎてしまったし、なにより美化するための充分な時間を記憶に与えてしまったから、一緒に過ごしていくうちにどこかで違和感を覚え、こんなはずじゃなかったと考えるかもしれない。

何かを忘れられない、というのはその物質があった出来事の時間軸に、感動とか、喜びとか、悲しみとか、何かしらの強い感情を落としてしまったから、「忘れられない」に繋がるのではないだろうか。
私の場合、彼のにおいが忘れられないのは、愛おしさや悔いをあの時間に落としたからだ。
彼との恋は、私の短い人生において目を背けたいぐらい、最も純粋だった。相手を一途に想ったことはこれまでなかった。

あんな恋は二度とできない。HYが『366日』という曲に込めた意味や想いを、身をもって知る日が来るなんて、思ってもみなかった。いつの日か、また私に最愛の人ができたら、彼のにおいも忘れ、あの日々を懐かしむことができるのだろうか。