洗剤はコロコロ変わるのに、母の服からはなぜかいつも同じ香りがした

私が忘れられない香りは、母の香りだ。
母の服からはいつも同じ香りがする。
洗剤にこだわりがあるわけではないから、お中元で届いた洗剤だったり、私が好きな匂いだと言った洗剤を使ったり、洗剤の種類はコロコロ変わっていたのに同じ香りがした。

具体的には、最近主流の液体洗剤ではなく粉洗剤が近いのだけど、それよりも牛乳石鹸に近くて、ほんのり甘くて、少しだけ鼻と喉の境目がキュッと苦しくなる香り。
これは大人になったから感じる郷愁であったり、戻れない日々への憧憬ということではなくて、幼い頃から明確に感じていた「切なさ」だ。

私はこの香りがすると、いつも泣きたいような気持ちになる。
本能的にその香りが、母がいなければ再現され得ないと理解していたのかもしれないし、それはつまり、いつか永遠に失われる香りでもある、そう感じ取っていたからかもしれない。
とにかく、この香りから得られるどうしようもない安心感が、同時に私を切なく、そして寂しい気持ちにもさせていたように思う。

当時の私にとって、母の香りは安心するけれど寂しい香り

私は母子家庭で、母と祖父母の仲は決して良いものではなかったから家族と呼べるのは母だけで、いつか訪れる別れに幼い頃から怯えていた。
今でこそ恋人がいて、拠り所が増えた分昔ほどの恐怖は感じないし、大人になった分、考えない、という小技も身につけた。
それでも、当時と全く同じ感情が湧き出ることがある。

実家を離れ、1人で暮らしている今ではその香りとは物理的に遠ざかってしまったが、実家からの荷物と一緒に仄かな母の香りが届くことがある。
同梱された衣類かもしれないが、その香りを感じるたびに、母が出張で不在の夜、洗濯カゴから母の服を引っ張り出して泣きながら眠った夜や、上京したての頃、母からもらったお下がりのTシャツを洗うのが勿体なくて着なかったことを思い出して、やっぱり鼻と喉の境目がキュッと苦しくなる。

当時の私に取って、香りは母の不在を埋めるものだったが、それでもその香りを嗅ぐと余計に母の不在を思い知らされて、寂しい気持ちになる諸刃の剣でもあった。

母の香りを感じた時の感情は何?私なりに考えてみた

私が忘れられない香りは母の香りだけど、やはりこの香りの正体は気になる。
このエッセイを書きながら散々考えたが、よくあるのは恋人でも家族でも、遺伝子で香りが変わるということ。つまり、もっとも近い存在だからこそ、その香りが私にとって特別なのかもしれない。

ただ、この説には落とし穴がある。今では色々な匂いの柔軟剤も発売されて、母も使用している。
とすると、この匂いは母の遺伝子の影響を受けた、要するに体臭と洗剤が混ざった匂い、と考えるには無理がある。
なぜなら、柔軟剤は匂いが強く、必ず混ざったり、勝ったりするからだ。

とすると、母の香りの正体は?
ここで、私自身に関する考察を1つ。
母の香りを感じた時の感情は、本当に切なさや寂しさなのか。
ともするとこれは、母という存在に対する執着や依存といった感情の集合体なのではないか。そしてこの感情の集合体は、大人になっても昇華しきれなかった甘えん坊の私なのではないか。

そう考えるとこの香りは、いくつになっても母の温もりを思い出して鼻と喉の奥をキュッとさせてしまう甘えん坊の香りかもしれない。