「ねぇ見て!」「ほらどう?!」「凄いでしょ!」
そんなの最後に言ったのいつだ?なんて思ったら、最近似たようなこと言ったことをふと思い出した。
気を遣うし疲れるから、私はなるべく「人と関わりたくない」
私は人を好きになることが苦手だ。人を褒めることは、結構得意だけど。しかも、それは割と本心で言えていることが多い。でも、別に好きじゃない。その後はなるべく関わりたくない。
というのも、めちゃくちゃ疲れるからだ。というか、多分、面倒臭いのだと思う。だからもし、褒めといて変な勘違いなんかされるととてつもなく困る。
私は家族にでさえも違う空間にいたいと思ってしまう。こんなに恩があるのに、なんでそんなって罪悪感に苛まれることも少なくない程に。こんな自分が自慢したいことなんてあるかよって思うはずなのに、それがあるから驚きだ。
私は人のことが別に好きじゃない。生き物のことが別に好きじゃない。なんでかって言うと、すごく気を遣うから。
でも、絶賛実家住みの私は、人と関わらないと生きてはいけない。生きにくくてしょうがない。
ただ、動物園は一傍観者として心を保つことができるから結構好き。そう、別に好きじゃないけど、どの生物のことも気にはなる。そういえば、ハエにも感情みたいなものがあるらしい。
元彼に忠誠を尽くすことが正義だと思っていたから、3年弱付き合った
そんな私に好きな人が出来た。それも、背伸びしなくても頑張らなくても大好きって思う人。もっとぐちゃぐちゃに曲がりひねくれながらこの文章を描きたかったけど、ここからはなかなか難しいかもしれない。
だから、あまりに納得いかなかったら完成しないんだろうなと思う。けれど、このぐちゃぐちゃな文も、自己満の世界線において大好きだ。
話を戻すとする。私は正義でありたいと自然と無意識によく思う。2ヶ月ちょっと前に別れた元彼とは、約2年10ヶ月くらい付き合った。多分もっと早くに冷めていたけど、自分が悪い事をしたと思う分、忠誠を尽くすことが私の正義だった。だからなんだかんだ長く付き合っていた。
そんな元彼とはさっきも書いた通り、2ヶ月ちょっと前に別れた。なんでかと言うと、私の正義が償いの量を勝ったからだ。やっと自分も正義になって別れることが出来た。
そう、私は人に嫌われることや否定されることが極端に嫌なのだ。だから何事も自然と正義を頑張って目指してしまうのだと思っている。
元彼と別れ、正義を目指さなくても大丈夫と思わせてくれる人と出会った
でも、そんな中、正義を目指さなくても大丈夫と思わせてくれる人と出会った。頑張らないこの自分で大丈夫なのだ。そんな彼のことが心から大好きだ。自分が本当にそんなことを思えるような人なんてこの世にいるんだって、自分が1番驚いている。
しかも、元彼と別れてから2、3週間後に彼と付き合った。my正義なんてなんのそのだ。
現在、私は自分を生きていると感じている。こんな感覚は初めてかもしれない。愛おしい、一緒にいたい、安心する……彼に対して心からそう感じることが出来る自分のことが今は少し好きだ。
最後まで聞いてくれた?ねぇ、私、人を好きになれるんだよ!凄いでしょ?どう?