「あなたの思うようにはいかない」
決定的な一言に、私の顔面は大きく歪んだ。意気揚々と臨んだ面接の場で、自尊心が砕かれたあの一瞬を忘れない。
就職活動。それは大学生活の締めくくりに、有終の美を飾る晴れ舞台になるはずだった。
自信しかなかった。豊富な留学経験に、1年の頃から打ち込んできたボランティア活動での成果、そして何より学部で首席というお墨付きまである。
ESの大きな空白は、はみ出すほどの勢いで瞬く間に埋まっていった。小さな文字でいっぱいになった用紙を一人、眺めては悦に入った。6月までに、幾つの内定を総なめにできるだろう。
少なくとも、書類選考は間違いなく突破できる。私がESごときで落ちるはずがない。

勝ちしか見えてなかった就活。思っていた結果が出ずに感じた屈辱

前のめりもいいところだが、とにかく当時の“プライドエベレスト”には「勝ち」しか見えていなかった。
ところが蓋を開けてみれば、面接はおろか、ESすら全く通らない。こんなはずじゃなかった。思っていたのと全然違う。お祈りメールが受信フォルダに溜まっていく画面を、やりきれない思いで見つめる日々は、屈辱以外の何物でもなかった。
それでも年度が変わり、5月も中旬を迎えると、数社ほどは面接選考まで進むことができた。ここまで来れば、さすがに採用するだろう。
文字にしたためるしか術のない書類選考とは違って、生で言葉を交わせる対面の機会は、自分を売り込む絶好のチャンスだ。
これまでの過程は序章にすぎない、むしろ踏み台だったと言ってもいい。はやる気持ちを抑えながら、面接当日まで気持ちはヒートアップする一方だった。
いわゆる自己分析や面接対策というものは、ほんの形式的なものにすぎない。そう高をくくっていたから、大学の就職支援センターにはほとんど顔を出さなかった。あくまで自己流で。その他大勢がなびく「ハウツー」には流されない。

面接では就活の「ハウツー」に頼らず、自分の言葉で話した

待ちに待った面接の場で、横に座る就活生はしかし、面白いくらいにその「ハウツー」をなぞっていた。
「御社への志望動機は、3つあります。1つ目は~」
始まった。簡潔話法。ちっともそそられない。教科書にそったような喋りくらい、誰でもできる。そんな内容じゃ、面接官もあくびが出てしまうだろうに。
心底気の毒に思いながら、私はといえば、今か今かと口を開ける瞬間が待ちきれなかった。退屈な質問のやりとりが数回ほど続いたあと、ようやく自分の番が回ってきた。
話をふられた私は、まっすぐ前を見据えてこう言った。
「グレタ・トゥーンベリを知っていますか?」
開口一番、そんなことを名乗り出る就活生はこれまでいなかっただろう。それも結構なドヤ顔で。
目の前に座る面接官は一瞬、戸惑うような表情を浮かべたが、すぐに「いいえ、知りません」と返してきた。
「ですよね」と言いたくなる気持ちをこらえ、一呼吸、間を置く。平静を装いつつ、イメージしていた通りの返事に、胸が高鳴る。よし。ここまで全て、想定内。腕の見せ所はここからだ。
スウェーデンの16歳の環境活動家の存在を皮切りに、今、世界で気候変動対策が喫緊の課題として浮上していること、そして、プラスチックを大量に使う業界もいずれ対応を迫られること、そのとき自分が会社に貢献できることを一息に話した。

「あなたの思うようにはいかない」。室内に響いた残酷な一言

畳みかけるように話す私を、面接官は明らかに表情を曇らせながら見つめていた。私が一通り話しきるのを見届けたあと、面接官は静かに口を開いた。
「はっきり言って、あなたの思うようにはいかないと思います」
日本刀ですっぱりと斬りおとすように、残酷な一言が室内に響いた。それは、鼻をへし折られるなんてもの以上の衝撃だった。
思うようにいかない……?圧倒的なパワーワードが私をぶち抜いていった。
でも次の瞬間には、憤りに襲われた。そんなのおかしい。私は私の手で、現実を動かす。社会を変える。やる前からできないとか、そうはいかないとか、安易な戯言に屈したりはしない。並々ではない正義感が全身を貫いていた。
案の定、選考は落ちた。たぶん、横に座っていた従順そうな彼女は、受かっただろう。結果的に、私の就活は負け戦だった。そして、思い知った。
この社会は、自分の言葉で語れる人間なんて実際のところ、一握りも求めてはいない。個性とか多様性とか、それらしい単語を並べてHPを彩っているけれど、本当にとがっていて、常識に染まらない人間は、たちまち規格外のレッテルを貼られる。
「扱いづらい奴」は、会社組織にはいらない。悲しいけど、それが日本の就活なのだ。
幸い、たった一つだけ、とんでもなく話が弾んだ会社があり就職浪人は免れた。コロナ禍の最中、入社式を終え、今年めでたく入社2年目を迎えた。……ばかりだったが、その会社を先月退職した。

就活での苦い言葉に、別の感慨を覚えるようになった

今、改めて、あの時面接官が放った一言を思い返す。
「あなたの思うようにはいかない」
選考に落ちた直後、何度も反芻し、辛酸舐めた言葉。あれから数年経った今は、また別の感慨を覚えるようにもなった。 
たしかに、思うようにいかない。就活どころか、人生というものがそもそも思うようにはいかない。一直線に、単線的に物事が進んでいくはずがなく、途方もない回り道や道草を経て、ようやく微かな兆しが見えたり近づいたと思ったら遠ざかったり、そんなことの繰り返しだ。
だからこそ、私はなお思う。就活という、ほんの一面的なシステムの中で、自分なんてものがわかるはずがない。競争を煽られ、必死に他者との差別化をはかった結果、画一的なものさしで評価される社会は不健全だ。
自分の思うようにはいかない、思い通りにならない社会で生きていくために本当に必要なのは、リクルートスーツでも黒髪でもESでもなく、自分でも気づいていない自分の可能性を探ることができる十分な時間であり、他者との対話であり、自然という存在であり、それら全てを内包したモラトリアムである。
あの時の苦い言葉を糧に、そんなかけがえのない時間と空間を提供できる場所を、私はこれからの人生で創造していきたいと思っている。