私が1番嫌いな言葉。
出来る事とやりたい事は分けないといけないよ。
そんなの自分が1番分かっている。
分かっているうえで、それでもやりたいから出来るようになりたいのだ。
くそくらえ、と思った。
この言葉を私に言ってきた人は、内定先の社長だった。

人生を変える映画に出逢い、日本に映画の面白さを伝えたいと思った

大学3年生になる前の春休み。私はアメリカにいた。
新型コロナウィルスが本格的に蔓延する直前のアメリカで、私は週に2日映画館に出向いていた。
別に映画が大好きというわけでもなく、理由は単純だった。日本で公開されるよりも前に観れることにお得感を感じたのだ。
そんな軽い気持ちで出向いた映画館は、コロナウィルスへの懸念のせいか人があまりいなかった。貸切の時もあれば、人がいないから席は自由でいいと言われた時もあった。
そんなある日のことだった。私の人生を変える映画に出逢った。
その映画はいわゆるインディーズ映画で、今もなお日本に配給されていない。流れゆくエンドロールを観ながら、「こんな映画を日本に持っていきたい。そして日本人にもっと映画の面白さを知ってもらいたい」そう強く思った。

狭き門の映画業界に入るために調べ抜き、行きたい会社に履歴書を送付

そこからしばらくして帰国し、周りが就活やらインターンやら始めている中、私はアメリカの映画館でした決意を諦めきれていなかった。
日本の映画業界というのは非常に入口が狭く、映画の仕事がしたくても出来ない人がほとんどの世界だ。新卒で入社するには運良く大企業の選考に合格するか、コネで入るかしかなく、コネがない私は運に賭けるしかなかった。
しかし、大企業の足元に埋もれながら影で汗を垂らして働きたくはなかった。映画業界の大企業は入社したら地方に飛ばされたり、部門配属されたり、自分のやりたい仕事が出来ないと考えたのだ。自分のやりたい仕事をするには中小企業しかないと、今度は映画業界の中小企業を調べ抜いた。
ところが、そのほとんど全てが中途採用のみで、新卒採用はないに等しかった。それでも諦めきれなかった私は、どうしても行きたかった会社のホームページに履歴書を送りつけた。1日、2日……4日。返信は来ない。どうせ一生会うことはないからと、もう一度メールを送った。
どうしても入りたい、私はこんな人なんです、と感情的なメールを送ったその2日後、面接の連絡が来た。
人生は本当に何があるか分からない。行動することの大切さを身に染みて感じた時だった。業界に入りたくて諦めた人達全員に読んでほしい。勇気を持って挑んでみてほしい。

「出来る事とやりたい事は分けないといけない」と残酷な事を言う社長

さて、話を戻すとしよう。
内定が決まるか決まらないかの決定的な瞬間に、私が嫌いなその言葉を言われた。
新卒採用をしたことがないからと渋っていた社長は、私を見て言った。
「出来る事とやりたい事は分けないといけないんだよ」
だからなんだ、と私は思った。
何の努力もしていない私に言ったならそれは正しい。ただ、私に足りないのは業界の知識だけなら、それを言ったらもう終わりではないのか。やるチャンスも与えずによくもそんなことを。
誰しもが0からスタートするものであり、0地点にいる人に対してそんなことを言うのなら、その人は何をすればいいのか。やりたいことを諦めて黙々と出来ることをしろというのか。そもそも学生だから出来ることも少ないというのに。

ある韓国ドラマでも全く同じシーンがあった。アナウンサーの面接を受けたヒロインに対して、面接官が全く同じ台詞を言ったのだ。
これほどまでに残酷な言葉を私は他に知らない。
誰もが最初から出来ているわけではなく、出来ることを増やしていくことでやりたいことをしているのではないか。

就活をする人達へ。何があっても諦めずに自分の力を信じてほしい

まるで、夢を語った高校生に対して嘲笑うような大人に出会った気分だった。
私はそんな大人になりたくない。しっかりとその人に何が出来るのかを見て、的外れな言葉はかけないようにしようと思う。
就活中に出逢った人や言葉は、一人一人の心の中に残り続けるのだと思う。
良い事もあった。恩人にも出逢った。悪い大人にも出会った。それぞれの人生を変えるこの1年を過ごした就活生にお疲れ様と伝えたい。そしてこれから就活をする人達に、何があっても諦めずに自分の力を信じてほしいと伝えたい。

大丈夫だから。1番自分を信じることが出来るのは自分しかいないから。
やりたいことがあるのなら、自分に出来る事でやりたいことに何を貢献出来るのか考えれば良い。