「私から見ればあなたにはコミュニケーション力がなくて、話せない性格だと思うのですが、あなたはどう思いますか?」
これは私が就活をしていたときにされた質問の一つである。
物怖じせず何でもできるが長所の私は、第一印象とかなり違う
どう思うかなんて、コミュニケーション能力がないと思われている私に聞いてどうすんだと今では言い返してしまいそうだが、当時の私は売り手市場と言われている中、何十社も落ちまくり、3月から応募や面接をしていたにも関わらず内定が一つもないという、崖っぷちで完全に心身共に疲弊している状態だったので、この言葉は私の心臓の奥底が抉り取られるようだった。
私は就活で面接をするにあたって、「物怖じせずに何でも出来る」ことを自分の長所として話していた。勿論、この長所は他己分析もしてもらって自分でも自覚しており、長所にまつわるエピソードもあり、なおかつ私の強みはこれだと直感で思ったからこそである。
しかし、この私の長所を信じた面接官はほとんどいなかったのではないかと今では思う。
なぜか。それは私が緊張症だったことと、初対面の人とはどうしても上手く話せない性格だからである。
昔から友達や先生には「初めはこんなに喋る子だとは思わなかった」と言われる程、私は初対面が物静かな印象で、でも相手と打ち解けるととおしゃべりで騒がしい。
第一印象と今の印象が全く違うのである。私は「第一印象とは違うね」と言われること=人とは何か違うという、なんかいい!というちょっと面白い解釈をしていたため、そう言われるとなんだか誇らしくなるものであった。
「面接官は面接を通して真の性格を見抜く」そんな言葉に抱いた疑問
しかし、この第一印象と実際の性格が正反対であることは、就活では非常に不利に回ってしまった。面接官からしてみれば、おどおどしながら顔を真っ赤にして話もつっかえ、どもりながら「私は物怖じしない」と話している奴のことなんか信じられなかっただろう。
実際、私は就活エージェントから「あなたは第一印象と長所や今までの経験とイメージが合っていない。第一印象と実際の性格にイメージが違うのは就活では良くないから直した方がいい」と言われた。静かそうなのに蓋を開けてみると正反対!という誇らしかった性格が憎らしくなった。
この性格のせいで将来が見えない、周りのみんなは終わっているのに私はゴールのないマラソンを走り続けた。必死に面接官に明るい印象を見せようとするものの空回り。自己嫌悪になり、鬱にもなりかけた。
結局、心身の限界のところで一社のみ内定がもらえたため、9月頃に私の就活は終わったのだが、数々の面接官に言われたことを引きずって気分は落ち込んだままであった。
12月頃だろうか、私は授業のため大学へいった時、廊下に就活セミナーの張り紙があるのをちらっと見た。私も去年はこういうのに出席してたなとか思い出していた。
ある就活セミナーで講師がこんなことを言っていたのを思い出した。
「面接官は面接を通してあなたの真の性格を見抜くので、嘘をつくとすぐにばれますよ」と。
私はすっごく疑問に思った。
「これほんとに君がやったこと?」「バイト先の店長は男?仲良かったから評価されたんじゃない?」などといわれていた。ほとんど誰も私の本当の、行動的な性格を気付けなかったのではないか、私のことを大人しくて長所は嘘をつく子だったなと思っているままなのではないかと。
伝えたい。面接官も人だから、あなたの長所を見落とすことだってある
やはり面接官も「人」なのだ。面接だけで、質問と応答、少量の雑談だけで人の本性、素がわかるのなんて超能力者ぐらいかもしれない。
こう考えると私の心の傷は少し癒えた気がしたし、面接官達に対しても「あいつらも人間だから間違いはするよね、私の良さを見つけることができなかったんだよね」と思えるようになってきた。
これから就職活動、転職活動する人、若しくは私のように人間性を否定された人に伝えたいのだ。
面接官は人であるから、あなたの長所を見落とすこともあるし、あなたの全てを解ることは不可能。だから自分のことを100%ダメだと思わずに、「私の良さがわからないのね、フン!」と心の中でいってやればいいということを。
そして自分が誇りに思っている自分を大切にすること。これはきっと正しいことだから。
就職先でもやはり初対面では話せずにいたが、入社して約一年過ぎた頃、より経験の積める部署に異動した。その理由は「君は物怖じをしないだろう」とのこと。私の長所と第一印象とのギャップがまた好きになれた。
もう一度言おう。面接官も人間であり、人間はミスをしてこそ人間なのである。