一年記念日の3日前。恋人は「友達に戻らない?」と言ってきた

「友達にもどらない?」
一年記念日の3日前、付き合っていた恋人に言われた。

私たちは一度も喧嘩をしたことはなかったし、本当に仲が良かった。ただ、これ以上「恋人」として続かないということはお互いわかっていた。だから、友達にもどろうという彼の言葉を私はすんなり受け入れた。もう10代の女の子ではないのだから大人にならなくてはいけない。

彼の提案で、せっかくお互い予定を空けていたのだから一年記念日も会おうということになった。すでに別れたのに記念日に会うなんて筋違いだと言われるだろう。もちろん私自身もそう思う。
ただ、「友達に戻っても私は全く平気だ」ということを彼に示したかったのだ。いつも素直になれない私の最後の強がりだった。

こんなもんか。友達になった彼と過ごした一年記念日は全然平気だった

一年記念日は、喫茶店で他愛ない話をして過ごした。私たちは本当に別れたのだろうかと思うほど、付き合っていたときとお互い変わらない様子だった。いや、むしろ私たちの最後はもう恋人らしい関係性ではなかったのかもしれない。

彼が私の近くに寄るたびに、彼の香水の匂いが鼻をかすめる。
少し前に流行った、昔の恋人の香水のことを歌った曲を思い出したけれど、何故だか私はあの曲のように感情を揺さぶられる気がしなかった。
なんだ、こんなもんか。別れたって全然平気じゃないか。

そんなことを考えていると、彼が煙草を吸い始めた。控えめなムスクの香りが一瞬でキャメルの煙にかき消される。
私と付き合うとき、彼は「君が嫌なら禁煙する覚悟はあるから!」なんて意気込んでいたが、最初こそ私を気遣ってベランダでしか吸わなかったものの、いつの間にか私の隣でも平気で吸うようになっていた。
なんだ、そんなもんか。気づかないうちに私はあまり大事にされなくなっていたのかもしれない。

いつものように「またね」と別れた彼。未練がないと思っていたけど

日が落ちてきたので、喫茶店を出てバス停へ向かった。昼間はまだまだ暑いというのに、夕暮れ時になると澄んだ空気が肌に触れ、夏の終わりを感じさせる。
彼と並んで歩いている途中、彼との距離感に困った。付き合っていない男女はどれぐらいの距離感で歩くのだろうか。一年前の今日、付き合う前の私たちはどんなふうに歩いていたのだろう。ふと気が付くと、彼は私より二歩ほど前を歩いていた。きっとこれが今の私たちの距離だ。

帰り際に、彼の部屋に置いていたパジャマとポーチが入った紙袋を受け取り、いつものように「またね」と言ってその日は別れた。

「よかった。全然平気だった」
帰宅後、彼への未練がないことを再確認し、私は安堵した。
そして、受け取ったパジャマをタンスに戻そうと紙袋から取り出した、そのとき、ふわっと彼の柔軟剤の匂いが私の前に広がった。その瞬間、彼の部屋で過ごした一年間の思い出が走馬灯のように次々と浮かんできた。

狭いベッドで二人一緒にいつも昼過ぎまで寝過ごしていたこと、私にとっての初めてだった夜のこと、深夜にパジャマのままで一緒にコンビニへ行ったこと、団子の代わりにハーゲンダッツを食べてお月見したこと、上手く切れなくてぐちゃぐちゃになったクリスマスケーキを見て笑い合ったこと、夜中の3時にベランダで生ハムとお酒を飲んで「最高だね」なんて言っていたこと。

思い出を記憶していた彼の柔軟剤の香り。強くなんかなれなくて…

たくさんの思い出が詰まったあの部屋に、私はもう行くことはない。付き合っていた頃は、彼の柔軟剤の匂いなんて全く意識していなかったのに、嗅覚というものは私以上に繊細な思い出を記憶しているのだと知った。気が付くと、私はパジャマを握りしめながら泣いていた。
なんだ、全然平気じゃないじゃないか。
私は強くなんかなれなかった。大人になんかなれなかった。

別れたことは後悔していない。恋しいのは楽しかった思い出だけだと分かっている。
ただ、私はもう少しだけこの匂いに包まれていたかった。

そんな思いを断ち切るように、私はパジャマを洗濯機に放り込んだ。