PCの独特な機械臭と埃臭さが充満したパソコン室。体育終わりの生ぬるい身体を気怠そうに動かし、生徒たちがぞろぞろと入室し始める。柑橘系の制汗剤の匂いがパソコン室の臭気と混ざり合い、心なしか、ほんのわずかに空気が華やいだようだ。
腐れ縁と言うほど腐れ切ってはいない、何にも及ばない安心感のある男
相変わらずエアコンが効きすぎた部屋だ。今はその涼しさが心地良いが、カーディガンをしっかり羽織って着席する。一人一台与えられたPCを起動させ、授業の準備を進めていると、隣席の男が慌ただしく入室してくる。
ヘラヘラした笑みを浮かべ、どこかコミカルな動きで近づいてくるこの男とは、9年来の仲である。小学1年生から同じスポーツを習い、6年間同じチーム。男は点取り屋で私はアシスト屋だった。
中学では別のスポーツを始めたにも関わらず、またしても選んだ先には此奴がいた。腐れ縁と言うほど腐りきってはないと思う。特段仲が良いというわけではないが、何者にも及ばない安心感があった。
それはどんなに恨み言を吐いても絶対に恨み切ったりはしない、相手を認めているということ、相手から認められているということ、この二つへの自覚が要因で生じているのだと思う。
男の着席と同時に始業のチャイムが鳴る。情報の授業は、与えられた目標に対して各自自由に作業をする。PC付きの自習時間のようなものだ。
室内は中学3年生特有の、少し反抗的で、怠惰な静寂に包まれていた。私たちはいつものように、その静寂を尊重したうえで「おしゃべり」に乗じる。1週間に一度、出席番号順で指定された席に座らざるを得ないこの時間は、互いの近況を報告する「定例会」のような役割を担っていた。結局互いのことを気にかけているのだ。
男に好きな女なんていないと思っていたけど
本日のテーマは、何といってもつい先日行われた修学旅行だ。もちろん京都の景観がどうだとか奈良の寺院がどうだとかなんて話をするわけではない。我々は各部屋の中で繰り広げられた恋バナに首ったけだった。
デスクトップパソコンと語気だけがどんどん熱を帯びていく。機械臭が苦みを増し、埃が宙に舞い上がる。
女部屋での成果をすべて話し終えた。とは言っても大した成果があるわけではなく、高校生になったらしたいこととか、どんな人と付き合いたいとか、誰がかっこいいとか、そんなちょっとませた話をしただけであった。
それに対して男部屋はなかなか盛り上がったようで、全員自分の好きな人を暴露し、ゲームで負けた人間は告白をしなければならないという。中学生らしい思い切りの良さと軽率さを兼ね備えている。
どうやら男はその罰ゲームを回避することができたようだ。どうせ罰ゲームになったところで告白するような女もいないだろう。男とばかりつるんでいるような奴だ。……しかしどうやら、「いる」。
「この中学校にいるの」
「うん」
「同じ学年なの」
「まあね」
「ひょっとしてこのクラスにいるの」
「そうかもね」
マウスのクリック音。キーボードのタイピング音。私たちの心音だけが動作不調を起こしている。苦くて、埃臭い空気を精一杯吸い込む。授業の終わり際、真白の紙に、彼がそっと女の名前を指で綴る。
私も親しくしているクラスメイトの名前だった。
純朴な友情は、ただ二人だけのものだった
授業が終わり、生徒が散り散りに席を立つ。私は理解不能な感情をとりあえず連れだって歩き出すことにした。
私は彼に好きな人がいることがどうしてこんなに不思議で、世紀の発見をしたような気持になっているのかわからなかった。
しかし今になってわかる。それだけ純朴な友情だったのだ。その間には情愛も性欲もない。ただ一人の人間同士の理路整然とした加減乗除。それが彼との関係だったのだ。
その時の自分はそのような関係が他の人間とも交わされていると勘違いしていた。そのため不思議な気持になった……。
男友達が何やら忙しない様子で部屋のデスクトップパソコンの電源を入れる。ほのかに苦い機械臭がエンジンの起動音とともに漂い始める。
あの時のような純朴な関係を築くのは、いったいどうして難しいのか、私はベッドに裸で横たわりながら静かに目を閉じる。