私は真面目だ。私のことを知っている人はもちろん、初めて会ったような人に言われることもある。
そう、根っからの真面目気質なのである。
真面目な性格のお陰で、誰かの心に火を灯した
私が初めてその性格を自覚したのは、確か中学生の頃だったと思う。
吹奏楽部に入っていた頃、サックスを上手くなりたい一心で楽器の練習ももちろんしていたが、雑誌に載っているプロ奏者の記事までもを読み漁っていた。
そして、その一字一句を忘れないようにと、部活用のノートに書き写していった。色を変えたり、読みやすいように工夫しながらまとめていた。
ある時、2個下の後輩にそのノートを渡したことがあった。夏の大会の練習で忙しく、直接のコミニュケーションの時間がとれなかったからだ。何も教えてあげられなくて申し訳なく、自分としては苦肉の策だった。
すると、後日その後輩から意外な言葉が返ってきた。
「こんなに熱心な先輩に出会ったの初めて」と。
目を輝かせているように見えた。
その話は当時の母親にも伝わっており、今でも何かの拍子に、しきりにその話を持ち出す。その度に「ああ、真面目な性格は、私が生まれ持った誇れるものなのかもしれない」と自信がゆっくりと湧き上がってくるのである。
長所は短所。真面目な性格に襲いかかる副反応とは
だがしかし、実際のところそんな都合の良い話だけではない。ここが難しいポイントなのである。一番の良さであり、同時に副反応も引き起こす。
例えば、自分で何か目標を決めた、としよう。普通の人なら、途中で辞めたり折れることも難なくできるであろう。
現実の世界とのバランスを上手にとれる、ということである。小さい目標であればあるほど、折れることも容易であると思う。
だが、この「真面目」が顔を出し始めるとそうはいかない。
本気であれば、本気であるほど、挫けた自分自身に劣等感が襲いかかってくる。笑ってしまうような、いたって日常的でリアルな話だ。
高校生の頃までは、それが当たり前だと思っていて、その化け物に何度苦しめられたことか。今は、その化け物から逃れた自分を大切にすることまで頭が回っていくようになった。
やっとこの「真面目」という性格に向き合えるようになったのかな、と胸を撫で下ろしたくなるような気持ちだ。
今まで苦しんできた過去も多いし、まだ現在も、そして、これからの未来もまた苦しくなったりすることがあるかもしれないが、結局のところはこの性格を誇らしく思っている。
なぜなら、数々の偉業を成し遂げてきた人たちは皆、真面目だったのである。ひとつの分野に特化して、ただただひたすらに熱中できるのは、素晴らしい才能であると先人は教えてくれる。
そう、私もそのひとりなのだ、と思うようにしよう。そうすればきっとこれからも自分自身に向き合って生きていけるし、また自己嫌悪に陥らなくて済むだろう。歳を重ねるにつれてそう考えることが出来る様になったのである。
もし、私と同じように真面目すぎるが故に、自分にとって苦しい思いをしている人に出会ったら、その人に「素晴らしい宝物を持っているのだから、どうか自分を甘やかせてあげてほしい」と伝えたい。
ストイックに誰も見ていないところでも頑張れる、そんな貴方が壊れていかないように。